「ネット選挙」どこでやってんの?

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ソレは違うんじゃないの!! というコトバが最近飛び交ってて。「ネット選挙」だ。
スゴく気になる。
なーんにも知らない人が普通に聞いたら、
◎ネットにアクセスしてたら
◎投票できて、
◎当選者とかもネットで分かったり
そんな仕組みを思い浮かべるコトバだよ。けど、全然そうじゃないでしょ。
一般の人が気安く「ネット選挙」っていうなら分かるけど、
テレビとかラジオのキャスターが言うのは、激しく違うぞ。中にはちゃんと「ネット選挙運動、ですね」って言い直しているキャスターも見かけるけど。
「ネット選挙」って言ったら、話の中身が全然違ってくる。
なのに、言葉を使って商売しているハズのキャスターとかが、こと「ネット選挙」に関してどうしてああも無神経、無頓着でいられるのか、まったく分からない。
もっとも、マスコミの人って、ネットの仕組みをよく理解してないのか(けっこうマジだったりして!?)。
あるいは。
どこかの誰かが、何か間違った印象を一般大衆に与えたくて、わざと誤用している。そんな穿った気分にもなったり。
「ネット選挙運動」って、語呂が悪いんだったら、
「ネット選活」とかでもいいんじゃ?
※画像はhttp://www.pref.fukui.lg.jp/doc/senkan/23touitusen/23tohyosyo_d/img/001.jpgより

バブルよ来い?

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バブルの頃は、さ。
小さな会社を経営してる兄が、口ぐせのように言う。その後に続いて、あのとき、いかに金回りが良かったか。それで自分の会社や事業がいかに繁盛したか。それに比べていまは・・・
みたいな話が続くわけだ。
でも、さ。
あれから何年経ってるんだよ。もういい加減にしようよ。死んだ子の歳を数えるようなことはやめて、次のことを始めないとダメなんじゃないの? 
って僕が言うと、兄は黙る。不満そうに。
しかも。
生まれて気がついたら不景気で、その空気の中で育った。そんなポストバブル世代が、社会の中心になってきているし。
バブルは一瞬の夢。いまの状況が現実。
という認識が本筋だと思うんだけど。なので、「ずっと不景気が続く」「失われた○十年」という言い方がよくされるけど、僕は全然違うと思う。
バブル後の成長軌道をどうするか。だよねぇ?
で、「アベノミクス解散」。
インフレ再興、景気回復を叫ぶ安倍さんを見ていると、「もう一回バブルを!」って言ってる。そんなふうに思っちゃうんだよね。
あの狂乱を知ってる世代だったら、「そう、その通り!」って人がいるとは思うけど、
お弁当男子とかにそんなこと言っても、「ソレで幸せになれるの?」とか言われちゃうんじゃないかな。
抱いてる夢が世代でかなり違ってきてるのに、政治は旧態依然のカビの生えたような夢を見せようとしている。
そんな気がするんだ、今回の選挙。
※画像はhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14120361189より

行間ゼロ

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400字書いたら半分に削る。と、これは広告コピーの書き方の話。
電通のウェブサイトに出ていました。
確かにそうだと思う。短かいほど、ことばが際立ってきて、印象的になる。まさに職人の技だよね。僕もこんなコピーを書かないと、と思っちゃった。
けど、若い人とか、Webコンテンツとかでは、また違った物言いになるんじゃないか、とも思ったわけで。
だって、いまの若い人は“行間”なんか読んでくれない。
サンプルの文章で「口眞一文字」があるけど、それを「何か耐えている」などとは読み替えてくれない。ゼッタイ。
書かれているとおりの文字の意味しか取ってくれない。この場合も、痲一文字の口のかたちを真似してオシマイ、じゃないか。
良い例がJ-POPで、最近ヒットしている歌詞を聞いていると、
「君が心の底から好きだ」「何があっても君を守りたい」みたいな、分かりやすいけど平たい文字列ばかりだ。
「ソーダ水の中を貨物船が通る」なんて詩を聴いたら、きっと意味が分からなくてパニクっちゃうんじゃない?
それに、掲示板などでは言葉尻をとらえて、文意や論点はそっちのけで、揚げ足取りのバトルロワイヤルもしょっちゅう。
文字は、情報を伝える記号なんだけど、日本人が俳句や短歌で磨いてきた情感といったものは、ちょっとムリなのかな。
パソコンやスマホの画面では、“行間”は伝わりにくいし、何より、文芸書なんかあまり読まなくなって行間を読む体験がなくなっちゃってるし。
反面、マンガなどは“行間”をビジュアル化したメディアだし、テキストの領域だと絵文字がある。
けど最近は絵文字の量が増えまくって、どんな感情を表してるのかよく分からないものもあるけどね (^_-)
※画像はhttp://www.weibo.com/1653603955/AEIoRdVM6?type=comment#_rnd1417081155338より

電話で話そう。


3倍、いや5倍くらいになってるかも。電話をかける回数と時間のことなんだけど。
最近、ケータイの料金体系が変わり、通話料が定額になった。その代わり、定額だったデータ通信料が従量制になって。それはそれでいろいろ文句も出てるけど、ソレハサテオキ。
僕の場合、ケータイの他に主にMacBookAirで使うモバイルWi-Fiルーターがあるので、データ通信量がいっぱいになったらそっちを使うことにして、従量制のデータ通信は最低限の契約に。そうすると、データ定額+通話料金プランだった従来に比べて2千円ほど安くなることに気付いた。
なので、さっそく契約変更。
通話料がタダ(というか定額制)となったら、使わにゃソンソンとばかり電話しだした、というワケ。
これまでメールしてたり、Facebookのメッセージとかでやり取りしていたことも、電話で。
営業みたいに外を飛び回っている人には、メールなんかよりそっちの方が早かったり。
メールを打ってる時間やそれを確認している時間と比べて、電話だったらその場ですんでしまうし。ただし、相手とつながったら、の場合だけど。
ほかに、カスタマーサポートへの電話ですね。土日とか、良く待たされるでしょ。それと、中堅クラスの会社のサポートだと、コールセンターの規模が大きくないせいか、10分くらい待つのは当たり前!?
これまでだったら通話料を気にして切っていたけど、定額制なら気にすることなく。iPhoneの音声出力を「スピーカー」にしてハンズフリー状態で、他のことをしながら延々とコールセンターの受付を待っていたり。
こんなことも、定額制ならではの使い方か、と。
でも、こんな使い方してる人が増えたら、こんどは通話回線が圧迫されて、もう一回従量制に戻ったりして!?
※画像はhttp://www.au.kddi.com/mobile/charge/pr/より

まだまだ信頼できないよね。

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この一件で僕が知りたいのは、慰安婦問題や吉田調書報道などが、
■どんな状況で、報道されてしまったのか? = プロセス論よりも、
■なぜ、それらの記事が生まれてしまったのか? = 編集方針論、の方だ。
なのに朝日新聞は、一連の誤報問題の解決に「信頼回復と再生のための委員会」なるものを作り、読者から意見を聞いたり、外部から識者を呼び検証を行ったり、社内制度の構築のし直しなどをしている。
そればっかりで、編集方針については、触れる気配すらない(読者の声には、見かけられるんだけど)。今日、出ていた記事も同様だ。
新聞に限らず、雑誌や書籍などは、すべて「編集方針」のもとに作成される。
黒い色の魅力を紹介するという「編集方針」のもとに作成される記事だったら、たとえ対象物が白くても、陰影など「黒」の部分をとらえ、「白い中にも黒が宿っている」などと書くものだ。それが編集という作業だ。
朝日新聞という大きなメディアが、なぜあんなに大きな「誤報」を垂れ流してしまったのか。その根本の問題点は、編集方針にあるはずだ。
それら「誤報記事」は、どのような編集方針に基づき作成されたのか。その編集方針によって、同新聞はどんなことを世間に主張したかったのか。
こうした指摘や検証は、これまでの同新聞の記事を見る限り、ない。
編集方針を見直さない限り、いくら社内改革しても、同じような記事はまた垂れ流される。きっと。
それが僕がとても残念だと思ってることだし、この新聞とその記事はまだまだ信頼できないと思ってる最大の理由。

そろそろ、たいがいにしないか。

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『だったらせめて、狂気の世界で戦う者たちの邪魔をするな。』
3連休の土曜日に放送された、「リーガルハイ」でのセリフです。
スペシャル番組だったこの回のテーマは「医療過誤」。
難病治療で最新薬の投薬を巡って、一人一人の命に向き合ってない、と医師の独善ぶりを主張する原告側の主張に応えて、弁護人の古御門弁護士が、法廷での反論の一部が冒頭のセリフだ。
以前、インフルエンザワクチンの取材で大学病院で感染症を研究する医師にインタビューしたことがあった。そこで医師は、「日本では“ゼロ”を追求しすぎる」「だから状況が進展しないことがある」ということをおっしゃっていたのを思い出した。
インフルエンザワクチンは、不活化しているとはいえ、ウイルスを体内に入れるわけだからリスクが高い。体質や体調によっては重篤化するし、最悪の場合、死んでしまうこともないわけではない。
なので、そういった被害者が「ゼロ」になるまでワクチンを使うべきではない、と主張する人がたくさんいるそう。
「だけど、その症例はほんの数名、ごくわずかです。その“軽微なリスク”を重視するがあまり、何百万、何千万もの人がワクチンを接種できなくて、リスクにさらされてもいいのか」と、取材した医師は主張していました。
一人一人の生命を第一として、完璧な安心・安全を追求する人たちと、
社会全体の安定や進展を重視する人たち。
という構図だと思う。まさにドラマの原告と被告の設定。
個人の幸福を願う人たちの向こう側で、研究や開発を行っている人たちのことを「狂気の世界」と、冒頭のセリフでは表現していた。そう。研究分野の最先端で頑張ってる科学者って、だいたいそんな感じ。僕ら一般人には及びもつかない。同じ言語をしゃべっているけど、思考とか解釈の構造が全然違うし。
両者は、決して相容れることはないと思う。だから、このドラマみたいに裁判沙汰になるわけで。
一人一人の安全と幸福は確かに理想だけど、それを追求するにはものすごいコストがかかる。だってそうでしょ。インフルエンザワクチンの場合、一人一人にぴったりのものを調合しないといけない。接種のとき体調が悪かったら、もういちど作り直し、やり直しだ。
それを社会全体で標準化すればそれなりのコスト(といってもけっこうかかるけど)に抑えられる。だけどその分、個人をきめ細かくフォローすることは難しくなる。
で、いまはどうかというと、個人 > 社会全体、というチカラ関係になっている気がする。典型的な例が医療訴訟で、過誤の他にも「思い通りの結果が得られなかったから」と訴訟が起こされることも多くなってきた。
確かに正当な訴訟もたくさんあるけど、だからといってアレもコレも過誤だの不正だのにかこつけていろいろ揚げ足を取るのは、医療の進歩に水を差すことにならないか、というのが今回のリーガルハイのポイント。
個人の幸福はもちろん追求されるべきだ。だけど、「狂気の世界」が社会を引っ張っていってくれないと、明日がなくなる。いま、いちばんの問題は、“ココからここまで”、という両者の間の線引きがされてないことだ。ドラマにもあったように、個人がその幸福追求の度合いをどんどんふくらませ、「狂気の世界」にプレッシャーをかけている。
古御門弁護士は、つぎのようなことが言いたかったんじゃないだろうか。
『社会全体の未来をつぶすような個人の幸福追求は、そろそろ止めにしないか。』
同様の例は医療に限らず、原発問題をはじめ東日本震災の復興とか、学校教育とかいくらでもあげられる。
※画像はhttp://www.courts.go.jp/maebashi/kengaku/tiho_maebashi/index.htmlより

無料アイドル?

無料化 → ターゲットを集めて → ライブなどイベントでマネタイズ、という動きが音楽の業界で起きている、と書いたけど、それがモデルやアイドルなど、2次元のフィールドでも起きている、らしい。
もし、アイドルの画像が無料で使えるとなったら、ECサイトとか、中小企業のWebサイトとか、スゴいことになるんだろうな(MADアニメとかも?)。
人気が出てきたら、AKBとか、他の「有料アイドル」も、次々に無料化に踏み切ったりして、そうなったら、日本はアイドル天国(僕らにとって)!?
なーんて思っちゃったり。
著作権とか肖像権とか。それらは、音楽やモデル業界のビジネスモデルの根幹。それを無料開放して、その周辺にビジネスモデルを作ってマネタイズする。何年か前に「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」から始まった動きが、利権商売の総本山ともいえる業界にも広がってきたのかな。
ただ、その無料アイドル、もうちょっとかわいくてもいいかなぁ(爆)
※画像はhttp://www.amazon.co.jp/フリー~%E3%80%88無料〉からお金を生みだす新戦略-クリス・アンダーソン/dp/4140814047 より

プロデュース選挙

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「いま、増税されるのがイヤな人は、清き一票を!」って言われたら、つい入れちゃう人、いっぱいいそう。
消費増税の景気腰折れ対策になるし、
でも2017年4月には必ず増税するから赤字財政への悪影響は避けられるし(景気浮揚の時間稼ぎできる)、
しかも、国民に信を問うた結果だから大義になるし(あとあと増税でゴタゴタしても錦の御旗にできる)、
「三方一両損」的な妙案か、と。
ただ、そうやって「増税か否か」って二者択一的に選挙するのって、なんだかデジャブ感があって。
ほら、小泉さんがやった「郵政総選挙」!
あのときも二者択一で非常に分かりやすい選挙だった。
飯島さんという秘書がいて、その人が仕組んだストーリーだったと聞いてるけど。
今回も、そういうプロデューサー的な人がいるんだろうな。そんなことを思い起こさせる。
それに対して、野党。
全然ダメですね。「アベノミクス失敗隠し」とか叫ぶだけで、何の知恵もない。
多分、安倍さんがこれまでやったことを“声を枯らして”糾弾するんだろうけど、何の対案もなく、アイデアもセンスも見られない。いまのところ。
このまま、安倍さん(のプロデューサー)の戦略に、ぐずぐずと押し切られるんだろうなぁ。
※画像はhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20141118/t10013301461000.htmlより

120万 vs 12万

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音楽セールスで明暗、という話がニュースサイトに上がっていました。
その記事によれば、
>テイラー・スウィフトが定額制音楽配信Spotifyから
>全アルバムを削除する販売戦略を実施し、
>最新アルバム「1989」はリリース一週目売上が
>120万枚以上を超えたニュースは日本でも話題になりました。
その一方で、
>カントリーミュージックの大御所ガース・ブルックスは、
>2001年以来初のスタジオアルバムがリリース第1週目売上が
>わずか12万枚しか到達しないと予想され、
(中略)
>最新アルバム「Man Against Machine 」のデジタル版を
>iTunesで販売することを拒否し、自らが立ち上げた
>オンライン販売プラットフォームGhostTunesのみで販売しました。
同じように音楽配信をキョヒったのに、
一方は大成功、もう一方は今ひとつ、だったと。
あと、僕的には、わざわざオリジナルで配信サイト立ち上げたんだけど、そんなに効果なかった(いまのところ)という点もなるほど、と思った。
テイラー・スウィフトは、ターゲットが若く、TwitterやFacebookなどでのキャンペーンの効果があがりやすかった、
でも、ガース・ブルックスの顧客はSNSとのマッチングが悪く、マーケットを大きく動かすまでには至らなかった。だが、ツアーのチケット売上げは好調で、記事を見る限り35万枚以上が数時間でソールドアウトになったそう。
楽曲を売り上げるか、それとも、ライブや物販で稼ぐか、アーティストの「ビジネスモデル」がいろいろ言われている。
ECみたいなバーチャルで行くか、リアルで行くか、の選択ともいえるわけで。
基本戦略をどこに置くかで、プロモーションとかメディア選択とかも大きく変わる例だといえそう。
それにしても、ガース・ブルックスって、初めて知った。
日本の氷川きよし、的な(笑)
※画像はhttp://mam.garthbrooks.comより

クオリティ < クオンティティ


コンテンツの質で勝負するのはあまり意味がない、というコンテンツ(笑)を発見。
前回の「クリエイターの4箇条」に引き続き、引用エントリだけど。
「コンテキスト」とかをキーワードに展開しているけど、
広告の用語で言うと、↓のようなことか、と。
 ブランディング(=差異化、個性化)
  ↓
 ブランディングに基づいたコンテンツ配信
  ↓
 ロイヤリティ獲得
  ↓
 集客(後はコンテンツ配信でサイクルを回していく)
要は、そのコンテンツの中身。
広告出身だと、どうしても広範でパブリックなターゲットを考えてしまって、ある意味“しゃっちょこばった”ページや体裁になりがち。それをクオリティとも呼ぶんだけどね。
そうじゃなくて、もっとカジュアルにして、個人が発しているような言葉使い、ざっとメモ書きのようなものでも、画像だけポンと載せただけでも、そのサイトのブランディングに合致してればオッケーじゃね?
SNSと連携が必須な以上、カジュアルな見え方じゃないとダメだし。
っていうことかな、と。
Webメディアは、
発信回数を増やしてアクセスを呼んだ方がいいので、
ま、そういう意味でも「質より量」ってことなんでしょう。
前回のクオリティの話と絡んで、これまでとはコンテキストの違う制作の方法かと。
※画像はhttp://official.ameba.jpより