「ネット選挙」どこでやってんの?

image
ソレは違うんじゃないの!! というコトバが最近飛び交ってて。「ネット選挙」だ。
スゴく気になる。
なーんにも知らない人が普通に聞いたら、
◎ネットにアクセスしてたら
◎投票できて、
◎当選者とかもネットで分かったり
そんな仕組みを思い浮かべるコトバだよ。けど、全然そうじゃないでしょ。
一般の人が気安く「ネット選挙」っていうなら分かるけど、
テレビとかラジオのキャスターが言うのは、激しく違うぞ。中にはちゃんと「ネット選挙運動、ですね」って言い直しているキャスターも見かけるけど。
「ネット選挙」って言ったら、話の中身が全然違ってくる。
なのに、言葉を使って商売しているハズのキャスターとかが、こと「ネット選挙」に関してどうしてああも無神経、無頓着でいられるのか、まったく分からない。
もっとも、マスコミの人って、ネットの仕組みをよく理解してないのか(けっこうマジだったりして!?)。
あるいは。
どこかの誰かが、何か間違った印象を一般大衆に与えたくて、わざと誤用している。そんな穿った気分にもなったり。
「ネット選挙運動」って、語呂が悪いんだったら、
「ネット選活」とかでもいいんじゃ?
※画像はhttp://www.pref.fukui.lg.jp/doc/senkan/23touitusen/23tohyosyo_d/img/001.jpgより

個人的に、の件

「個人的に〜」って振って、話したり文章書いたりするのは、なんだか抵抗があります。個人的に(笑)。

だって、どんな話や文章も、個人的な話でしょ。
友だちとの話も、家族の会話も、井戸端会議での話も、飲み屋でのバカ話も、会議で主張する意見も。
年賀状の挨拶から、メールの内容、Twitterのつぶやきも、LINEの会話も、Facebookの投稿も。そして、このブログのエントリも。

私もあなたも、社長さんもヒラ社員も、フツーに話したり書いたりする内容は、ぜんぶ「個人的」な話だ。

それを、もったいぶってるんだか、それとも「これから大事な話をするんだぞ」的なシグナルなのか、単なる口ぐせなのか、「個人的に、それはダメだと思うんです」なーんて。あなたがダメだと思ってることは、たいがい、他の人もダメだと思ってるって。あなただけじゃないぞ。

しかも。
「赤信号を守らないのは、個人的に、それはダメだと思うんです」とか。「個人的に」を入れると、なんだかたいそうなことをいってるような感じになるけど、言う方も聞く方も。だけど、ちょっと考えるとけっこう大したことなくて。そのときの、がっかり感といったら・・・

SNSとかが当たり前になって、それこそ「個人的な」意見やら文章やらを書いたりすることが多くなったせいなのか。
ゆとり教育やらの、「個人尊重」教育が行き届いたおかげなのか。

昼ご飯を食べながら見ていたテレビ、街角の意見はこんな感じ、みたいなコーナーでマイクを向けられたみなさんが「個人的」を連発されていたので、箸を動かしながらちょっとイラッときたのでした。

※トップ画像:飛行機雲と光彩。フレアではないです。最近、個人的に(笑)キレイだと思った光景です。

まあまあ、っ旦

Twitterはカジュアル、Facebookはフォーマル。らしいです。

この間、Twitterの人と打ち合わせしていたときの話題です。
Facebookはビジネスのつながりがあったりするので、どうしてもかしこまってしまいがち。
その点、Twitterはもっとくだけて、カジュアルに書き込める、ということらしい。
その先に、仲間内トークに徹した超カジュアルなLineがありますけどね。

ただ、ブログだったり、Twitterだったり、そしてLineの登場などで、みんなが書く文章がどんどんカジュアルになっているのは確か。
コトバだけじゃなくて、顔文字は普通になったし、ブログに絵文字とか、Lineはスタンプとか。こうして見ると、カジュアル&ビジュアルっていう感じですね。

っ旦

↑は、お茶を出して、まあまあひと息入れて、って言うときに使われてるコトバというか記号? 「旦」は見ての通り、茶托に載せたお茶、「っ」はそれを差し出す手、ですね。念のために書いておくと(笑)。
掲示板とかで論議が白熱したり、言い争いになりそうなとき、誰かがヨコから、それこそ「つー」って感じで出してくる。
初めて見たとき、とってもクリエイティブ! と思ってしまいました。
コトバのカタチが、意味を持つなんて。

昔々、モノのカタチからコトバが作られましたが。「手」とか「子」とか、象形文字ですね。
それが一巡して、コトバから新しい絵が生まれてる。文字絵画? アスキーアートなんて、まさに典型かも?? ま、パソコンがそれを可能にしたんですけどね。パソコンがなかったら、絵文字もアスキーアートも出てこなかったでしょう。

漢字、ひらがな、カタカナと、文字を綴るだけでも3種類を使い分けて、さらに絵文字ですからね。日本語って懐が広いというか、何でもアリというか。

誰かも言っていましたが、ホントは日本人ってアタマが良いし、感情表現なども繊細で豊かなのかもしれません。これだけ「コトバ」を自在に操って意思表現しているのですから。

※トップ画像はhttp://wired.jp/2014/05/11/ascii-art/6/より

日本語って、ヤバい!

「ヤバい、っていうのは、どっちなんでしょうねぇ」

あるソフトウェアの取材でのこと。編集担当と話していました。そのソフトウェアは、テキストを読み取り、よく使われる言葉などをデータ化するもの。

「ヤバい」は最近、「すごい」「上手い」「おいしい」といった意味もあるので、例えば若い人のインタビューや記事などを解析したときに、すごくネガティブな評価になっちゃうんじゃないの? などと、その担当者の人と無責任な雑談をしてました。

メーカーの方に聞いたところ、最新のソフトウェアでも的確な判断は難しいので、人間が判断できるよう別に抽出している、とのこと。その他に「判断が甘い」「お菓子が甘い」など、いろいろあるんだそうで。

なるほど! 日本語って難しい!!

そういえば先日、友だちと街を歩いていて、

「そこのイタ車があるところ、あそこに店があるんだ」

「えっ? ないですよ・・・」

「君が思ってるのって、“痛車”じゃない?」

「ええっ?? 痛車のほかに、痛車って、あるんですか?」

おいおい (^_^;)  世の中は、もうそこまで行っちゃってるのか!?

※画像は、iPhone版アプリ「スーパー大辞林 3.0/大辞林ビューア」より