そんなこと、誰が言い出したの?

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タブレット端末の売上げが頭打ち、というニュースがありました。

ざっくり、2014年のタブレット端末の売り上げ予測が2.3億台、成長率がそれほどでもない(6.5%)なので、年間3億台を安定して売り上げているPCは抜けない、というレポートだそうです。

2010年に発売されて5年、ニュースリポートなどで「やがてPCを抜く」などともてはやしていたせいか、今回、“がっかり”という言い方までされています。

そうでしょうか。

僕はiPadもMacBook Airも使っていますが、使用頻度が高いのは圧倒的にMacBook Airです。iPadを買ってすぐから、そんな状態です。

iPadは、確かにデータの閲覧性には優れています。でもそれだけ。スティーブ・ジョブズが言うように、リビングでテレビを見ながら気になったことをネットで調べたり、次の休みにどこに行こうか?と家族で行き先を探したり。そんな使い方がベストにして唯一。

反面、iPadで仕事をする気にはなれません。だって、データの入力装置(キーボード)が貧弱ですし、いざデータを作ってもそれを記憶させる仕組みがOSに用意されていません。データ作成しにくくて、苦労して作ってもしまっておけないわけです。

これはPCの代わりにはならないな、iPadは別の使い方だよね、仕事にはやっぱりPCだな、と、iPadを使い始めてすぐに判断つきました。まぁ一部のサービス業や教育などで適性はあるかも知れませんが。

なので、そんなデバイスがどうして「PCに取って代わる」と予測できるのか、不思議でなりませんでした。iPadなんかさわりもしないままアナリストが“予測”し、それに“ニュース”を作りたいマスコミが乗ったのでは、なんて勘ぐったりもしています。

そんなわけで、今回のニュースを見ても「あぁ、家庭のリビングに行き渡ったんだな」くらいにしか感じませんでした。“がっかり”もしなかったし(笑)。

とはいえ。なくちゃいけない、というモノではないけど、あるとめちゃくちゃ便利ですよ、iPad。

残暑おでん

おでんが出ていました、コンビニに。そろそろ夏の終わりとはいえ、まだ8月なのに、です。

「コンビニにおでんがある」ということを、来店したお客さんに周知するために早めに出している。と、どこかで聞いた記憶があります。

それに今年は雨が多かったり、気温が低めで、売上げもきっと低調だったはずです。そんなマイナスを取り戻すために、早めに秋・冬商戦に切り替えているのかも知れません。また、ライバルとの関係で、負けていられない、という事情もあると思います。

ま、広告宣伝の一貫なのでしょう。とはいえ、まだまだおでんが食べたい季節ではありません。きっと売れ残りも発生しているはずです。そんなロスも、広告宣伝コストとして割り切っているはずです。

おでんで思い出しましたが、以前担当していたランドセルの仕事でも、同様なことがありました。

ランドセルといえば、以前は商戦といえば年末年始あたりから。それを、少しでも早くから「刈り取ろう」と、お盆で実家に帰省したチャンスを狙って商戦を張りました。

お盆で帰省した孫に、おじいちゃんおばあちゃんがランドセルを買ってあげるというストーリーです。

小学校入学は、家族の一大イベント。その象徴的な商品がランドセルです。それを、祖父母が孫のために選んで、買ってあげる。今は色やカタチがいろいろありますから、その中から孫と話し合って、気に入ったひとつを選んで。おじいちゃんおばあちゃんは、孫が喜ぶことをしてあげられた満足感が味わえます。また、孫の親(祖父母の子ども)にとっても経済的にうれしいし。また、孫自身も帰省中のいい思い出になって、幼稚園の宿題の絵日記に描いたりするのではないでしょうか。

実際、先日のお盆期間中のニュース番組で、そんな光景を映して放送していました。お盆にランドセルは、もはや一般的になったのかも知れません。

みんなに「win」のストーリーがあると定着しますね。ランドセルのように。

その一方で、おでんはどうなんだろう? と、ちょっと懐疑的になったりも。こっちの方は、提供側(コンビニ)の都合の方が先走ってないかな、という気がしています。

※トップ画像はhttp://www.circleksunkus.jp/product/oden/index.htmlより

まあまあ、っ旦

Twitterはカジュアル、Facebookはフォーマル。らしいです。

この間、Twitterの人と打ち合わせしていたときの話題です。
Facebookはビジネスのつながりがあったりするので、どうしてもかしこまってしまいがち。
その点、Twitterはもっとくだけて、カジュアルに書き込める、ということらしい。
その先に、仲間内トークに徹した超カジュアルなLineがありますけどね。

ただ、ブログだったり、Twitterだったり、そしてLineの登場などで、みんなが書く文章がどんどんカジュアルになっているのは確か。
コトバだけじゃなくて、顔文字は普通になったし、ブログに絵文字とか、Lineはスタンプとか。こうして見ると、カジュアル&ビジュアルっていう感じですね。

っ旦

↑は、お茶を出して、まあまあひと息入れて、って言うときに使われてるコトバというか記号? 「旦」は見ての通り、茶托に載せたお茶、「っ」はそれを差し出す手、ですね。念のために書いておくと(笑)。
掲示板とかで論議が白熱したり、言い争いになりそうなとき、誰かがヨコから、それこそ「つー」って感じで出してくる。
初めて見たとき、とってもクリエイティブ! と思ってしまいました。
コトバのカタチが、意味を持つなんて。

昔々、モノのカタチからコトバが作られましたが。「手」とか「子」とか、象形文字ですね。
それが一巡して、コトバから新しい絵が生まれてる。文字絵画? アスキーアートなんて、まさに典型かも?? ま、パソコンがそれを可能にしたんですけどね。パソコンがなかったら、絵文字もアスキーアートも出てこなかったでしょう。

漢字、ひらがな、カタカナと、文字を綴るだけでも3種類を使い分けて、さらに絵文字ですからね。日本語って懐が広いというか、何でもアリというか。

誰かも言っていましたが、ホントは日本人ってアタマが良いし、感情表現なども繊細で豊かなのかもしれません。これだけ「コトバ」を自在に操って意思表現しているのですから。

※トップ画像はhttp://wired.jp/2014/05/11/ascii-art/6/より

勝ち組?

僕のまわりで、ちょっとしたベビーブームが来ています。去年は1人、今年に入ってから2人、誕生しました。

新しく父となったのは30代が2人、一人は40代。30代もどちらかというとアラフォーに近いので、パパも高齢化ですかね(笑)。

結婚が遅かったり(独身時代をずっと楽しんでた?)、結婚はしていたけれど奥さんの仕事の事情で先延ばしになっていたり、夫婦の趣味や生活を優先していてなかなか子どもまで気持ちが向かなかったり、それなりに状況がいろいろあったようです。

これまでの世の中の常識がいろいろ、ガラガラと崩れていますが、特に顕著なのが「結婚」と「出産」じゃないかな、と思ったりしています。

これまでは、ある程度成長したら「結婚」して「子ども」を作るのが当たり前でした。まわりも、「で、子どもは何人ほしい?」みたいな会話をしていました。

でも、女性が仕事に就いたり、経済的な事情やらで、まず結婚が難しくなり、さらに出産も減りました。最近は「結婚はまだ?」「子どもは作らないの?」といった会話もはばかられるように。

こうしてみると、結婚しただけでも、子どもができただけでも、もはや「勝ち組」なんだな、と思います。まして2人目は?なんて、恐ろしくて聞けません(笑)。

なるほど、少子化になるわけだなぁ、とあらためて感じました。

これも現実。

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まさに、戦争と平和?
紙面は生々しい戦闘装備の紹介、その下は、アニメの広告。「戦車」つながり、といえばそうなんだけど。

先日の「そうかえん」のときにもらったタブロイドです。
紙面は小野寺防衛大臣など、偉い方々のあいさつに始まり、いまの陸上自衛隊の装備(写真の紙面ですね)とか、当日のプログラムとかが並んでいます。その下の広告欄を見て、エッ!と思ってしまったわけです。

写真の他にも、DVDアニメの広告がもう一点。その他は自衛隊オリジナルグッズ(カレーは美味しそう!)、そうかえんのDVD、演習所近くの旅館などの広告が並んでいます。

最近、自衛官募集のポスターに、AKBの島崎遥香が使われてちょっと話題になりましたが(その広告も出てる)。それにしても、アイドルとかアニメとかの波は、こんなところにも来てるんですね。

そうかえんで、防衛(というか戦争ですよ、ほとんど)の現実を見たのですが、その一方で、平和な日本の現実も見た気がしました。

百“文”は一見にしかず?

つい、足を止めて見入って、そしてカメラで撮っておきたくなります。

自宅近くの学習塾の看板?です。

デジカメ画像やフォトショップの画像処理などに見慣れた僕には、チョークの素朴な風合いと色合いが新鮮です。

やっぱり、ビジュアルのインパクトは強いなぁ、といつもここを通るたびに思います。

僕らコピーライターがいくら書き立てても、それが一目で分かるビジュアル表現があったら、そっちの方がいいに決まっています。

百聞じゃなくて、百“文”は一見にしかず?

とはいえ、精緻な機械の作用とか、人間の細かな心の動きとか、ビジュアル表現では分野もあることは事実。それ以外にも、言葉の持つ力や機能が求められているところがきっとあるはず。そういう「場」をもっともっと作ったり発見したりしていきたいと思います。

って、ちょっと負け惜しみっぽかったかな(笑)

 

アクセスもイベントのうち

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昨日に続いて、「そうかえん」の話題です。行き帰りがとても大変でした。

演習は、10時から12時まで。その2時間のイベントを見るために、朝4時から夕方5時まで、まる一日かかりました。

そもそも、自衛隊の演習場はパブリックな場所ではないので、交通の便は良くありません。へんぴな場所にあるといった方がいいでしょう。混雑を想定してマイカーは規制され、バスかタクシー、あるいはてくてく歩いていくしかありません。
そこに最近、ネットなどで話題になり、見たい人がワッと押し寄せるようなことになっています。前の日から来て待っている人もいたようです。すごい!

そのせいか、明け方4時に御殿場に着いたにもかかわらず、駅周辺の駐車場は満杯! なんでも夜中0時にはその状態になっていたようです。
何とかクルマを置いて会場に辿り着くと、こんどは人の行列。スタンドに座るまで2時間かかりました。

終了後、帰りの列についたところ、会場を出るまでに1時間半、タクシー待ちの列で2時間、御殿場市街地に置いたクルマに辿り着いたのは、夕方5時になっていました。

少し状況を甘く見ていたとは言え、大変でした。「もう来年はいやだな」と言いながら待機列に辛抱強く並んでいた人を何人も見ました。
その一方で、迷彩柄の服やグッズを身に纏い、いかにもおたくのような人もけっこういて。そういう人は、来年も前日から用意周到にやってくるでしょう。

「そうかえん」は、本来、新人自衛隊員に装備やその使い方の実際を見せるのが目的。それを一般の人にも周知するために解放することになった、ということなのだそうです。
集団的自衛権の問題で、自衛や戦争について話題や関心が集まっているように思います。僕は、この演習を見ていろいろ考えさせられました。もっとたくさんの人に見てもらいたいと思いました。

でも、行き帰りでとても疲れてしまったので、この意義あるイベント自体の印象や感想よりも、「疲れた」「大変だった」という記憶の方が大きくなってしまいました。

見応えのあるいいイベントだったのに、とても残念です。
イベントで体験した良い記憶や印象をそのまま自宅まで持ち帰ってもらうために、無理のないアクセスは重要だな、と痛感しました。

ほんとうの戦争。

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最後は、歯を食いしばって見てました。なんだか、こちらに向けて実弾を次々と撃ち込まれているようで。

特に、4台の10式戦車が同時に実弾を発射する光景は鮮烈でした。鋭く、ものすごい轟音。何かを引き裂くような、すべてを覆すような。同時に押し寄せる音の衝撃波。頬や腕など、無防備に露出した部分に衝撃を伝えます。そんな実弾が、世界遺産、富士山のふもとの演習場に何発も撃ち込まれていきました。

陸上自衛隊の「そうかえん」を見てきました。
自衛隊の装備が、実際に実弾射撃をしながら、演習を行います。

「痛い、なんて感じることなく死んじゃうんじゃないか」
「死体なんて、一瞬で見分けつかなくなるくらいバラバラになるよ」
僕たちを含め、そんな感想を話し合っている人がたくさんいました。また、そんなことを思わずにいられない、圧倒的な武器の数々でした。

後半の演習は、「島嶼部に対する攻撃への対応」という設定。いまを反映して、ものすごく実践的です。国としては、とても切実な問題ともいえます。

集団的自衛権で、憲法解釈が問題になっています。テレビやネット、新聞で論議され、僕も頭の中ではいろいろ考えていたつもりでした。
戦争とは、どんなことなのか。また、国や生活をも守ると言うことは? 自分の生活が戦争に巻き込まれたら。子どもたちが戦争に行くことになったら・・・

そんな“頭中の空論?”を、木っ端みじんに吹き飛ばすほどの衝撃がありました。演習とはいえ、これが現実(それもほんの一端だけど)なのだと思いました。

実際に見てみて、本当に良かった。帰ってきたばかりの今は、それだけ言うのが精一杯です。

浅草の化学反応

浅草といえば、下町、江戸情緒だ。

雷門、仲店、浅草寺、ちょっと行って、花やしきかな?

うなぎ、すき焼き、どぜう、昔ながらの洋食。そして、電気ブランとか?

そんな浅草で、なんでサンバ? と思っていました。

ウィキペディアで調べたところ、浅草演芸場など大衆娯楽としての浅草のイメージをよみがえらせるため、だそうで。

そういえば浅草は、ビートたけしさんなどの芸人をたくさん育てた町でもありました。うっかりしてました。僕の世代では、そんな面影はもはやないんですが。

サンバカーニバルは1981年スタート。その企画には俳優の伴淳三郎さんも加わっていたとか。

庶民の娯楽の殿堂、浅草の意地というかプライドの象徴が、あのカーニバルだったんですね。なるほどなるほど。

それにしても、浅草でブラジル、あの派手で金ピカな色、浅草寺前であんな衣装で腰振りまくるなんて、ものすごいミスマッチ。でも、あの“外し”がものすごいパワーを生んでいる気がします。

アイデアって、あるコトとあるコトの化学反応のようなもので。三味線で民謡を弾くのは普通だけど、ロックを弾いたら新しくてインパクトある曲になります。三味線×ロックという化学反応が起きるわけです。

浅草サンバカーニバルもこの化学反応だな、と。この反応は50万人も集める“威力”を発揮しているそうです。

こんな化学反応、どこかで起こしてみたいなー!

※画像はhttp://www.asakusa-samba.orgより

便利は不便

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「俺のLINEが乗っ取られたぞー!」

子どもの大学サークルで、みんなで集まっているときに「事件」は発生したそうです。
ある学生のLINEアカウントから別の部員のアカウントへ「カードを買ってもらえますか」というメッセージが。その場に本人がいるわけですから、アカウント乗っ取り&詐欺は明らかです。同時に、その場にいた他の部員にも詐欺メッセージが届いたそうです。

事件、というより、ヒマな学生の格好の“ネタ”とされて、中国語で速攻で返信したり、「それで?」などと日本語で煽るような返事を返したり、遊ばれてしまったようです。そのせいか、敵もすぐに退散。また、アカウントを乗っ取られた本人もすぐに別のアカウントを開設するなど対応したそうです。

フィッシングだとか、ワンクリックだとか、ネット関連ではいろんな詐欺行為が問題となっていますが、最近は何といっても、LINEアカウントを乗っ取り&プリペイドカードによる詐欺。テレビなどでも盛んに取り上げられました。
うちの子どもも、まさにLINEのヘビーユーザーですが、友だちとの会話などで事件のことはよく知っていて、パスワードなどの対策もやっているそうです。

便利は不便、って最近思うことがあります。ちょっと便利なことができると、それを悪用したりする人が増えて、気軽に使えなくなる。最近の傾向か、と。

Eメールにより、ビジネスコミュニケーションは格段に便利になりましたが、情報漏えいなどのセキュリティ問題が発生しはじめました。そうすると、添付ファイルがNGになったり、やり取りするにも特定の人としかできなくなったり、制約が増えて最近はかなり窮屈になりました。

LINEも同じような雲行きとなってきました。せっかく楽しく便利に使ってきたのに、これからはアカウントのことを気にしたり、へんなメッセージが来ないかどうかドキドキしたり(それはすこし期待してる?)することが増えそうで、ちょっと残念です。