みんながwinのビジネス環境なんて、幻想じゃないか?

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ワタミ訴訟が和解 渡邉美樹氏「もっとも重い責任は、私にある」

もしかしたら、逆の結果が出ていたかもしれない、“風向き”によっては。と、思いながらこのニュースを見た。 

いま、“アベノミクス”とやらで企業経営はひと息ついているみたいだけど。
また、学生の就職は売り手市場にガラッと様相が変わっているけど。

 この事件が起きた当時のような円高デフレと就職難が今も続いていたら、渡邊社長が和民で行っていたようなブラックな経営手法は、もしかしたら肯定的に取られていたかもしれない。
そうしたら、これほどの和解金や、「責任は私にある」なんてことばが社長自身から出てきただろうか。 

「狂気と正気の境界線はどこか?」と、以前、精神科の医師と話をしていて聞かれたことがある。

「わからない」というのが、僕の答え。 

だって、世の中の価値なんて、ころころ変わる。狂気の人が社会に増えれば、それは社会の共通認識になる。正義になってしまうことだってある。第二次世界大戦のときの日本のように。ドイツのヒトラーの社会のように。 

狂気や正義は、決して絶対じゃない。その時代における社会の価値のひとつでしかない。
だからといって、渡辺氏のブラックな経営手法を認めるわけでは決してない。 

今回の場合、労働者から不当な搾取を行うことで見えない「利潤」を確保し、さらに客からも対価をもらう。
そのようなブラックな収益構造が、渡辺氏というかワタミのビジネスモデルだったわけで、それがこの裁判で明らかになったともいえよう。 

とはいえ。 

客にはより安く、より速く、より快適に。
従業員には自分らしく、最適なワークライフバランスで、しかも満足の報酬を。
株主にはより多くの配当を。 

そんなビジネスって、実現できるのだろうか。どことなく、ウソくさいと僕は思ってしまう。

パリ、“革命遺伝子”の強さ。

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その“とき”は、ちょうどテレビを見ていた。朝起きて画面を見たら「パリが大変なことになっている!」と。チャンネルはNHK。

この大きな事件を日本のメディアは少しも報道しない。報道規制していたのか! などとその後ネットで話題になったけれど、僕が見ている限りではNHKは敏感に対応して報道しようとしていた。

僕がテレビを見始めたのが土曜の8時前後から。NHKではニュース番組の枠内で最大限の時間を使っていたし、その後の生番組では、進行を中断して数分ニュースを挿入していた。通常なら番宣を流す番組インターバルでもニュースを入れていた。

しかし、事件は現地時間の金曜の夜から深夜に進んだせいか、いっこうに現地から新しい情報が伝わってこないらしく、同じ原稿と映像をどの枠のニュースでも繰り返し流していた。
現地時間の深夜、日付が変わるあたりにコンサートホールのテロが鎮圧されたときも、現地の映像などはなく、死者は140人にも及ぶ、とさえ報道されていた。実際は129人だった(その後1人増えた)ことがその後明らかになったので、現地での取材活動でも混乱していたのだと思う。

その後、お昼前後のニュースで、現地の様子が次第に流れ初めて来た。

パリのスタット・ドゥ・フランスでのドイツ代表との親善試合、不意の爆発音で足を止めるフランス代表ディフェンダーのシーン、テロリストに占拠されたライブ会場に響く爆音など、テロの様子が生々しく伝えられるようになり、その悲惨さ、事件の大きさが、問題の深さなど、その輪郭がはっきりしてきた。

中でも目を引きつけたのが、現地の人の冷静さだ。
ついさっき、銃撃音を聞いたばかりのはずなのに、銃弾や爆弾に人が倒れるのを見たり、パリの街角の平和な風景が容赦なく破壊されていくのを目撃したばかりのはずなのに。

「テロは赦されるべきではない」
「私たちはこの暴力と断固として戦う」
「このテロと、イスラムは別に考えなければいけない」
と、マイクを向けられた現場の市民は、怯えた表情ながらも、冷静に話していた。

何という冷静さ、何という知性なんだろう!事件に巻き込まれたのに。
こういうインタビューなので、特筆すべきコメントを抜き出していたのだとは思うけど。

夕方になって、ようやく番組編成にも変化が見られるようになった。
生放送の報道ワイドショー(?)では、コメンテーター役の30代の女性タレントが二人出てきて、

「ヤダ、怖い」
「日本で起きたらどうしよう?」
などと、脳天気なコメントを連発していたので、ついチャンネルを回してしまった。こんなときに時間の無駄だよ、そんなコメント。ディレクターから「視聴者の気持ちを代弁してくれ」などと注文があったのだろうけど。

それにしても、パリ現地の人の冷静さや知性の高さに比べて、日本のタレント(マスコミ?)の幼稚さ、無邪気さがはからずもあぶり出されてしまった。

フランスは、凄い。パリは強い。
普段は「自由・友愛・平等」の個人主義だけど、自分たちの社会=価値観を脅かす敵に出会ったとき、強力な団結力を発揮する。1月のシャルリー・エブド事件のときもそうだった。

それは、革命の歴史を持つ市民たちの底力だ。
歴史的に、彼らは「革命」という手段によって自らの社会を切り拓いてきた。血を流しながらも、挫折しそうになりながらも、市民が団結して手を取り合い、自らの主張や主義を貫き通し、自分たちの社会を実現してきた。

フランス、というかパリの人の強さは、そういう“遺伝子”によるものなんだろうと思った。

ハロウィン、バレンタインを抜く!

すごく前のことだけど、平日に休みを取って横浜・元町に遊びに行ったら、坂上の住宅街でヘンなカッコをした子どもたちが列を作って走り回ってる。

口々に叫んだりして。住宅街のあっちの方に消えていったと思ったら、また現れて、つぎは向こうへ。

なんだろうね、と言いながら見物してた。いま思うと、スヌーピーのワンシーンみたいでかわいかったな。 

※画像は今の風景、出典はここ

あのときは横浜の、それも外人居住が多い山手の一角の光景だったけど、今ではすっかり日本のすみずみまで馴染んじゃって。

先日、千葉の奥の方に行ったけど、コンビニでも飾り付けを売ってた。かぼちゃなら、隣の畑で作っていそうなのに(笑)

「昨年のハロウィーンの経済効果は1100億円に上り、バレンタインデーの1080億円、ホワイトデーの730億円を抜き去りました。すでに、6740億円のクリスマスに次ぐビッグイベントです。そもそもは、9月から11月にかけてのイベント端境期に消費を刺激する起爆剤を、という流通業界の仕掛けによるものでしたが、3.11を契機に強まったつながりを重視する風潮が後押しになった。子供、両親、祖父母の3世代が一緒に楽しめるし、家族もシングルも男性も女性も盛り上がれる。消費のボリュームゾーンの広さがハロウィーンの強みです」
経済効果はバレンタイン超え 2015年「ハロウィン」最新動向

考えてみればハロウィンは、お菓子どころか、お酒は飲んじゃうし、仮装するし、飾り付けちゃうわ、パーティするわ、あれやこれや広がりがすごい。
しかも、自宅から会社まで、商店街からTDLまで、幼稚園から介護施設まで!!

対してバレンタインは基本的にチョコレートで、カップルでまったりとして終わってしまうからね。義理チョコ、友チョコも限界が見えてきた感じだし。

夏が終わってクリスマスまで、流通や観光業界では主立ったイベントがなかったのが悩みのタネだった。そこで業界がこぞってハロウィン商戦を仕掛けていたわけ。

で、ここにきてキャズムを越えた。みんな一気に“神輿”に乗った感じ。このお祭りは、これからもっと盛んになるはず。 

このグラフを見ていたら、心臓の鼓動がどんどん強まってるみたいで、見ているこっちもなんだかドキドキしてきたw

まちの交通安全ポスターなみだった、オリンピックのロゴデザイン・コンペ

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1964 東京オリンピックでは、25万円だったそうです。 

ポスターを作ったデザイナー、亀倉雄策さんへの謝礼。
(あの仕事で25万円は、ギャラじゃなくて謝礼のレベルだと思う) 

今回のロゴのコンペ、賞金が100万円、著作権は大会委員会に帰属。
いまどき100万円なんて、軽自動車も買えないよ。 

約50年前も今も、グラフィックの「デザイン」に対する評価額は大して変わってない気がする。
国立競技場でNGになった、建築の「デザイン」には、監修費とかの名目で十何億円も支払ってるのにね。 

なんかね、「町の交通安全ポスター公募」と意識レベルが同じ感じ。

プロのちゃんとしたデザインが欲しかったら、ちゃんとした「報酬」を設定しないと。

賞金はゼロ、

そのかわり、採用されたら露出1回あたりいくら払いますよ、とかいうインセンティブがあるとか。

ポスターなんて、スポンサー企業1社あたり何千枚も刷るんだろうから、
100円の使用料でもかなりな金額になるはず。
CMでも協賛ロゴで使われるわけだから、その時、1回1000円で設定しても、
放映回数を考えると、けっこういくでしょ。

お金はスポンサー企業が出すわけだから、大会委員会のフトコロとは関係ないし。
今からそういう契約が成立するかは別だけど。 

そういうインセンティブがあるなら、国内外からプロのデザイナーがわしわし応募してくるんじゃないか。 

なにより、グラフィックデザインに対するお役所というか社会一般の認識が低すぎたのが、今回、こんな騒動になった原因の一つだと思う。

※記事はhttp://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01HAT_R00C15A9MM8000/より

なでしこと、地デジと、アナログ放送。

前回大会の決勝、あれは7月の明け方だった。

家の窓から見たら、隣の家とかあちこちの窓に電気がついてた。うちも同じ。夏とはいえ早朝だったので、窓を開けてテレビで観戦していた。

1−2で負けていた延長後半12分、コーナーキック。

宮間選手が蹴ろうとした、その瞬間、

「きゃー!」「ぅおっしゃぁぁぁ!!」

歓声が隣のアパートから、開けた窓越しに聞こえてきた。
うちのテレビは地デジ、アパートのテレビは当時まだやっていたアナログ放送だったんだと思う。

地デジはデジタルの電波を処理するためにほんのちょっと時間がかかるので、アナログよりわずかに遅れて映る。
なのでその分、ちょっとだけ早く、隣のアパートに歓喜が訪れた、というわけ。

その歓声を聞いた瞬間、僕は「入ったんだ」と思った。
あれほど冷静に見ることができた得点は、なかったんじゃないか。

そりゃ嬉しかったけど、でも、ネタバレ気分。
こっちは、お金払って地デジにしたのになんだよー、なんて八つ当たりしたりして。

あれから4年たって、いまは地デジだけになったので、喜ぶ瞬間はみんな一緒。
喜べるかな? 喜びたいね!

画像はhttp://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2011/08/04/t___split____18/index3.phpより

日本っぽいアプローチで、キャッシュレスが進んでいるな、と実感した大型連休。

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「けっこう使えるじゃん、au WALLET」
この連休の収穫といえば、これか、と。

実はこの連休、現金をあまり使わなかったのです。
かといって、ケチってどこにも出かけなかったわけではなく、何も買わなかったわけでもなく。
買ったり支払ったりする際キャッシュを使うことが少なかった。という言い方が正しいかな。

5月3日は友人とクルマで千葉の袖ケ浦へ。
4日、5日は、家族で二子多摩川に行ったり、普段行けない「旧古河庭園」などを見て回ったり。
その間、ランチしたり、買い物したり、クルマにガソリンを入れたり、いわゆる消費行動をいろいろやったわけだけど。

お店でのちょっとした買い物やコンビニの支払いにはプリペイドの「au WALLET」を、
電車の移動や自動販売機では「Suica」を、
ガソリンはシェルの決済サービス「Easy Pay」、
高速道路の料金支払いは「ETC」、
その他、服などちょっとした買い物はクレジットカードを、
それぞれを利用したわけ。

その結果、連休前に2万円、ATMから引き出して財布に入れておいた現金は、連休が明けた7日現在、まだ5千円とちょっと残っている。
子どもが友だちだけで遊びに出かけるので、3千円を手渡したりしたので、実質、キャッシュで使った額は1万2千円程度、ということに。

その現金は何に使ったかというと、
旧古河庭園の入場料(300円/2人)、建物見学料(1600円/2人)、Suicaの使えない郊外の自販機での飲料購入(120〜150円)、郊外ドライブインの飲食支払い(カード自体がまったく使えない)、といった感じ。

まだまだ現金が必要なシーンはあるけれど、約1週間続いた休暇中、外出先でもかなりカードが使える、つまりキャッシュレスで過ごせることが分かった。

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特に、au WALLETはかなり使えると思った。
このカードはポストペイ、つまり後払いではなくSuicaなどと同様の、カード内に登録された金額分を使用するプリペイドカードであること。
で、Suicaが非接触のRFID(FeliCa)でデータのやり取りをするのに対して、au WALLETは一般的な磁気読み込み式であること。
また、プリペイドの支払いはauの通信料と合わせて支払うことになっている。

au WALLET、もう一つの特徴はサインレスで使えることで、対応したコンビニなどではサクッと手軽に利用できる。
でも、サインレスで使えるのはごく限られた提携店舗のみ。その他の店舗では通常のクレジットカード同様にサインが必要となる。この“ひと手間”がイヤでなければ、使える店舗が格段に増える。

実際、この連休中、僕の行動エリアの中でサインレスで使えたのはセブンイレブンやファミリーマートなどのコンビニのみ。
その他の、ドンキホーテや二子多摩川のライズといったショッピングセンター、ランチで入ったお店などではサインが必要だった。
けれども、クレジットカードが使える店なら使えるし、どの店もイヤな顔をしないで普通に対応してくれた。

またau WALLETはプリペイドなので、最初にいくらかの金額をチャージしておく必要があるが、Suicaなどと同様になくなると自動的にチャージすることができる。

財布の中に、ある一定の金額を入れておくことができる、というイメージ。
チャージしたらその場でショートメールで通知が来るので、「お金を使っている」という実感もある。なので使いすぎにはちょっと気を使う。現金ほどではないけれど(笑)。

僕の場合、1回のチャージ金額を5千円に設定している。この連休中に2回お知らせが来て、都合1万円を引き出したことになってる。
で、au WALLETのカード内に現在、3,233円残っているので、7千円弱の支払いを、このカードですませたことになる。
こんな風に、支払い状況なども、auのスマホ(僕のはiPhone)と専用アプリを使えばすぐに確認できる。

SuicaだとRFID(FeliCa)を使ってるので使用状況の確認は専用のリーダーがないとできないのだけれど(Suicaのサイトでもできるかも知れない、要確認)、その点、au WALLETの方が気軽に使える感じ。
さらに店舗サイドでも、Suicaは専用の端末を導入しなければならないのに対して、au WALLETなら通常のクレジットカード端末があれば対応できる。
既存の店舗インフラが流用できるわけだ。個人商店などならともかく、チェーン店やフランチャイズだったら、この差は大きいと思う。

ケータイの電波と端末、そして既存のクレジットカードのインフラ、そしてプリペイドという新しいサービススタイル。
それらの新しい組み合わせで、キャッシュレスの新しい環境が整ってきた、ともいえそう。

キャッシュレスの暮らしって、日本はなかなか進んでいない、欧米は当たり前なのに。
なんてことがよくいわれていたけれど、日本は独自のやり方でキャッシュレスが進んでいるんだなぁ、といまさらながら実感した連休でした。

※画像はhttp://www.gizmodo.jp/2014/05/au_wallet_1.htmlより

アップルウォッチで、これからどんな戦略が始まるのか、始まらないのか。ちょっと楽しみ

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なんか、カッコいい音楽プレーヤーが出たな、と思ったのでした。iPodのことです。

アクリルとポリッシュ仕上げのステンレスで仕上げたデザインが未来的。ホイール状の操作系も斬新。
だけど、真四角で持ちにくそうだし、ポリッシュはキズが付きやすそうでちょっとなぁ、、、というのが最初の印象でした。

なんだか新しいガジェットが出てきたな、という感じ。
iTunesがリリースされてPCと連携して使う、というのは目新しかったけど。
基本的にはモノ単体でしか見てなかったんですね。

それがそれが!
その後、iTunes MusicStoreが出てきて、ダウンロードで買えるようになって、あれよあれよというまに音楽ソフトの流通システムをイノベーションしてしまった。

本丸は、実はそこ。
CDとかメディアでやり取りされていた流通を、ネット経由に変えてしまう。デジタルによる流通の大変革。その壮大なイノベーションが、ジョブズの本来の目的なんだ、とあとから気付かされるわけです。主役はこっち。
アクリルとステンポリッシュのiPodは、単に末端の道具でしかなかったわけ。

これが戦略っていうものだなぁ、と思ったのでした。

そこに気付かない評論家たちは、相変わらず「クリックホイールの操作性がー!」なんて重箱のスミをつついてたり。

またメーカー側も、CDから直接音楽プレーヤーにコピーできるミニコンポ、なんてピントのずれた商品を出していたり。

さすがに音楽制作の会社はピリピリしていて、MusicStoreを全拒否してたけど。

iPodで始まってiPhoneで定着したネット化、デジタル化は、音楽ソフトやアプリ、書籍や映像などエンターテインメント全般に広がったし、さらにSNSの隆盛などとも合わせて世の中をがらっと変えてしまった。

で、このあいだ発売されて、直後に完売して、話題になったAppleWatchなんですが。

例によって、あれをモノ単体でしか見てない人が多くて、あのデザインがー!バッテリの持ちがー!!とかいろいろ言われてますが。
iPodだって初代の頃はカンペキでなかったわけで、そんなちっちゃいことなんか、どうでもいいと思う。

先行して発売された、サムソンなどの商品は単なるネットウォッチでしかなかったわけで。あんなのが売れるわけはないと思ってました。

AppleWatchにはどんな戦略が隠されていないのか、あるいは先行商品と同じように単なるガジェットでしかないのか。

Webページにもあるように、「その時がやってくる」のか?
これからの展開に、ちょっとワクワク。

PCは、現代の「刀」ですよ。うまく使えば「下克上」できる。

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スマホばっかり使ってると、ビンボーにしかならないよ。

そうならないようにするには、きちんとPCを使えるようになること。
そして、自分の主張や発想をかたちにして、他人に伝えられるようスキルを身につけなさい。
と、子どもたちに言っています(なのでウチには家族全員、マイPCがあります)。

日本の13~15歳(≒中学生)では,7割がデスクトップもノートも持っていません。」と、教育学の舞田敏彦博士はブログで語っている。ホント?

それを受けて、こちらのブログではこんな意見も。
まあ、今日いいたいことはひとつ。子供の見識を深めて夢を持たせたり、将来なにをしたいか考えさせるためにも、中学生のうちから(またはもっと前から)自分用のパソコンを持たせるというのは親としてのひとつの手かもしれないって事だ。
そう、僕も同じ気持ち。だから子どもにPCを持たせている。

それに、

スマホしか使えなかったら、子どもは情報の「受け手」にしか育たないんですよ。

そんなふうに、最近、いろいろな企業と仕事している中で僕は感じていて。

そうなると、ソシャゲとかにハマってお金と時間を浪費する生活を送るしかなくなるわけ。

送り手=企業の“思うツボ”にどっぷり、搾取されるだけの人生。
現代的な経済生活の最下層ですよ。士農工商・・・スマホ。
そうじゃなく、「下克上」しようと思ったら、どうしたらいいか。

やっぱ、PCのスキルでしょ。
PCを使って自分から発信したり何か作ったりできるスキルでしょ。

ソシャゲとかSNSのシステムとか仕事とかでも、
そういうのを企画したり、運営したりする側に行かないと。
そんな「送り手」の方が楽しいし、やりがいがあるよ。絶対。

そうなるためにも、まずPCを使えるようにならないとね。
豊臣秀吉が刀を手にして百姓から武士になって、そして天下を取ったみたいに(ちょっと大げさかも)。
そう、PCはいまどきの「刀」かもしれない。

自分の夢や希望、そして将来を切り拓いていくための、刀。

※画像の著作者: GU / 古天熱、http://free-photos.gatag.net/2014/03/20/010000.htmlより

ルミネのポスター大好きだったのに、ネットCM炎上はとっても残念

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どうしちゃったの? ルミネ。

「働く女性たちを応援するスペシャルムービー」と題されたムービーが酷評されて炎上してしまった。

この人も言ってるけど、ルミネのポスターはとても良いんだ。
キラキラした蜷川実花さんの写真と、女性目線に徹した尾形真理子さんのコピーで、オジサンの僕でさえ「なるほど」「そうだよね」って思わせてくれるポスターが、何度でも言うけど、良いんだよ。

ちなみに、ポスターのシリーズは、これ

問題になったムービーはもはやYouTubeから消されて見られないけど、魚拓で残ってるのを見たら、明らかに尾形さんの仕事じゃないよね。

何しろ、タイトルとは裏腹に、まったく女子を応援してない。そこにあるのは、魚拓のムービーを見る限り「男ウケのするかわいい服をルミネで買って変わろう」という、商魂モロ見えのメッセージ。そこに、みんな吐き気を催したんだと思う。

ルミネは、一体何がしたかったんだろう?
ネット用のムービーとはいえ、これだけ役者を揃えてロケとかもやって、しかもシリーズで制作したら、すぐに1千万円くらいはかかっちゃうのに。

ここからは僕の勝手な想像だけど。

尾形さんの広告は確かに素敵。
だけど、共感という「空気」を作り出すタイプの広告なので、商品を買うというダイレクトな「アクション」にはどうしても結びつきにくい。

ファンは作るけど、売上げはちょっと、という広告(でも、そのファンがいつかは買ってくれるんだけどね)。
一方、いま世の中で主流なのは、売上げに直結するネット広告。

そこで、ルミネもムービーにあったように「変わらなきゃ」とばかりに、『セールスに貢献する広告』を目指してスタッフを変えて、従来路線とはちょっと違う広告作りにトライしたのかな、と。

相手にアクションを起こさせるには、相手の痛いトコロを突くのが常道。そう考えると同僚の男役の「需要が違う」というセリフもなんだか納得できたり。

とはいえ。
「だから服を買おう」なんて、このムービーを見て思えないわけで。オジサンの僕が思えないんだから、ターゲットの女子たちは、僕の何倍もそう思ったんじゃないか。
事実、炎上してしまったわけだし。

それに。
せっかく尾形さんのポスターで地道に積み上げてきたブランドイメージが、一瞬にして壊れちゃった。何せ、彼女のポスターとは真逆のスタンスの広告だから。今回のムービーは。

僕みたいに「どうしちゃったの?」ぐらいですめばいいけど、気持ち的に離れて行っちゃったり、アンチになってしまったり、そんな顧客を作ってしまったら最悪だよな、とも思ったり。

※画像はhttp://magazine.lumine.ne.jp/?p=39180より

近ごろの「未来」はちっともワクワクしない。進化って、なんだっけ?

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テクノロジーによるファッショだよ、「違法」だなんて。暴力ですらある。

「全自動運転カー以外の車両が違法になる未来が来る」とテスラのマスクCEOが語る』という記事を読んだのだけど、ちっともワクワクしない。共感すらしない。

テスラCEOは、まあ、技術者として当たり前のことを言ってる。テクノロジー最優先の人がいかにも考えそうな、理路整然として効率的な未来像。
しかし、そこに人間の感情とか、感性とか、感動とか、そういう「感」にまつわるようなことは一切考慮されてない。排除されてるといってもいい。

だって、さ。
自動車という乗り物はバイクと並んで、移動手段であると同時にエモーショナルな乗り物でもあるわけ。
加速感が気分いいとか、ハンドル握るのが気分転換になるとか、眠れない夜とかにぶらっとその辺を走ってくるとか、そんな付き合い方もあるわけじゃないですか。何も、A地点からB地点への移動だけに使うわけじゃない。

テスラCEOの考えでは、そういったエモーショナルな要素は一切排除。これからの「全自動運転カー」は他車と協調して、理路整然と移動する道具になる、と。その方が安全性もエネルギー効率も一段と高められる、そうだ。

確かに、ミスばっかりする人間よりも、機械の方がだんぜん正確。大勢の命を預かる旅客機などは、全自動操縦がメインの考え方だし。

そんな世界が、僕ら個人で利用するクルマにも広がろうとしているわけだ。ふらっとどこかに行きたいなと思っても、クルマに「ドコニイキマスカ」って聞かれちゃうんだよね。
で、あっちの道って走ったことないから行ってみようかと思っても「ソチラノミチハ・トオマワリニナリマス」とか、拒否られることもあるんだよねぇ。。。

それって僕から見れば、ファシズムでしかない。テクノロジー独裁主義。
それに路上を走るすべてのビークルが自動運転になったら、そうしたら、もはや個人で持つ必要はなくなるでしょ。
流しのタクシーを捕まえるみたいに、空いているビークルをスマホか何かで呼んで、目的の場所に行って、着いたらそこで乗り捨て。そうしたら次の人がまた乗ればいい。道路交通全体主義。
個人の所有から社会全体の共有へ。ほら、ファシズムだ(笑)。

そうなったら、「ふらっとどこかに」などと、自分のアタマで考えたりカラダで感じたりするままに動くような人には、つらい世界になるよね。

そうじゃなく、自分から考えたり動いたりもせず、社会の流れに身を任せる。そんな生き方の方がいい感じになってきそう。そうすると、いまの「草食系」と呼ばれる若い人なんか、超未来的な生き方なのかも知れないな、などとも思ったり。

その一方で、なにかと「ふらっと」しがちな人間の気分を満足させるために、プロジェクションマッピングがもっと進んだような高度な技術を使って、「気分転換バーチャルリアリティ」みたいのを考える人がきっと出てくるよ。笑いゴトだけど、笑いゴトじゃないよなぁ。

リンク先のページにはAI(人工知能)の話題とかも。
このあいだ読んだ別のニュースでは、AIは技術が進んできて高度な判断ができるようになったけど、その反面、悪用されると取り返しが付かないことになる、と。映画「ターミネーター」で未来の社会は人工知能に制圧されていたけど、最悪の場合、ああいう世界がやってくるかも、ということだよね。

最近ではアップルウォッチも発表になったけど、ときめかなかった。

ホント、最近の「未来」って、ワクワクしない。
子供のころ、学校の授業で絵を描いた「21世紀」はもっとピカピカしてたのに(笑)。
むしろ、ISILみたいな社会情勢もあわせて考えると、閉塞感さえある。

「進化」って、どういうことだったっけ?

※画像はリンク先より