「トランプ氏成功が米の成功」オバマ大統領の発言に見る、リーダーの品格

 【ワシントン=川合智之】米大統領選で勝利した共和党のドナルド・トランプ氏(70)は10日、ホワイトハウスでオバマ大統領と初めて会談し、政権移行を円滑に進めるため協力することで合意した。会談後にオバマ

情報源: オバマ氏「トランプ氏成功が米の成功」 初会談  :日本経済新聞

現職のオバマ大統領はさっそく新大統領と会談した。引き継ぎ前にこんなに早く両者が公式に会うのは異例のことだったそうだ。

そこでオバマ大統領は、次のように語りかけたそうだ。

「(トランプ氏の)成功を助けるためにできることは何でもしたい。あなたの成功が米国の成功だ」
「今後は相談することを含め、オバマ氏とつきあうことを非常に楽しみにしている」
「党の違いにかかわらず、直面する課題に協力して取り組むことが重要だ」

特に感動したのは「あなたの成功がアメリカの成功」という表現。
・今までの言説を反省せよ
・アメリカのために働けよ
ということをにおわせながら言い含めている。
現職だから言えるちょっと上から目線で、とても素晴らしい表現だ。
オバマさんには腕の良いスピーチライターがいるので、たぶんその人の「コピーライティング」だとは思うけど。

オバマさんとトランプさんは、まさしく政敵として選挙戦では激しくやり合った仲。

『オバマ氏本格参戦 クリントン氏に加勢、トランプ氏批判 』

にもかかわらず、トランプ大統領が決まった瞬間から一転して融和・協調路線に。
アメリカを背負う大統領として、オバマさんの姿勢はみごとだと思ったし、本心から言ったかどうかは分からないけど、冒頭の発言はみごとだと思った。

やっぱり、アメリカのリーダーは違うな。
この会談の様子を見て、日本で起きた政治家の揉め事を思い出した。

今年東京都知事になった小池百合子さん絡みで、

『都議会のドン、内田茂都議は欠席 都議会自民の重鎮「あなたの要望に応える必要はない」と写真撮影も拒否』

さらに以前では、田中康夫さんが長野県知事になったときも

『「長野県庁、知事名刺折り曲げ事件」を考える』

オバマ大統領がトランプさんに示した度量の広さと比べ、日本の政治家や公務員のケツの穴の小さいこと、小さいこと。

やっぱり、“世界のアメリカ”のリーダーは違うな。
日本の田舎議員や木っ端役人とは段違い。
国政と地方自治、レベルの違いはあるけど。

オバマさんは、一国を預かる大統領として、アメリカとその国民の行く末を考えた行動と発言をしている。
僕がアメリカ国民だったら、辞任間際なのにもう一回、熱烈支持してしまいそう。

その反面、東京都の議員や長野県の県庁職員は、仲間内の義理や体面しか考えていない。

オバマさんと日本の議員や公務員とで、その目線、視野の広さが対照的に浮かび上がったニュースだった。

かなりベタだけど。老舗の任天堂製。

アメリカはこれから、ジャイアンになる。 アメリカ大統領選

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米大統領選の開票速報や現地の動向などをWSJの視点でお届けします。

情報源: 米大統領選2016 開票速報

やばいよ。クリントンはもはや首の皮一枚、という感じ。
今、開票速報が進んでいるけど、もはやトランプ勝利、といったところでしょう。

マイケル・ムーアが言ってた「合法なテロ」が起きてしまった。

イギリスのEU離脱に続いて、2度目のサプライズ、それも超スーパーなビッグサプライズ。

「世界の警察官をやめる」と現職のオバマが打ち出した内向きの流れは、「俺たちだけが生き残れば良い」という独り善がりの方向へと一気に舵を切った、と思う。

これから、大変な時代になるよ。

超大国がルールをこしらえて、それに日本など“同盟国”が従う時代が終わる。
そういう傘の下で、経済的にも政治的にも、そして核を中心とした軍事的にも日本はのうのうと暮らしてきたけれど、それもおしまい。

このブログにあるように、全部自分たちでお膳立てしてコストをかけて仕組みを作って、自分たちで回していかなければならなくなる。

しかも唯我独尊になるから。自分にとって都合の良いことばかり相手に押しつけてくる。わがまま放題。
アメリカはジャイアンのような国になる。
TPP、何じゃソレ? ルールは俺が決める。俺のモノは俺のモノ。お前のモノも俺のモノ。

戦後70年かけて作ってきた世界の秩序が、いよいよぶっ壊れる。
選挙結果はまだ出てないけれど、いまから腹をくくっておかなきゃ。

まずは、自分自身を守ることから始めよう! でもこのクマ、あまりかわいくないな(笑)

プロ野球の日本シリーズをひさびさに見た。・・・飽きた。

 プロ野球の日本一を決める「SMBC日本シリーズ2016」(7試合制、4戦先勝方式)は29日、北海道日本ハムファイターズが2006年以来10年ぶり3回目の優勝(東映フライヤーズ時代の1回を含む)を決めた。広島市のマツダスタジアムで第6戦があり、広島東洋カープを10-4で破り、4連勝で対戦成績を4勝2敗とした。最高殊勲選手(MVP)にはこの日の満塁本塁打を含めシリーズ3本塁打のブランドン・レアード内野手(29)が選ばれた。

情報源: 日本シリーズ:日本ハム優勝…10年ぶり3回目

遅い。長い。待たされる。

一球投げるのに、

 
 
 
 
 
 
 
なんだか、
 
 
 
 
 
 
 
このくらい
 
 
 
 
 
 
 
間合いが長い。ほら、イラついてこない?
僕はゲームを見ていてイラついてた。

しかも見ていたゲーム、ピッチャーが投げるのはほとんどボールだった。ストライクが入らない。
だからバッターは見送って、次の投球まで、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
またこのくらいかかって。
 
 
 
 
 
 
 
 
こんなにトロトロしてたっけ、日本の野球って。

ムダな時間が多すぎる。一球投げるのに、どれだけ時間かけるんだ?
投げてもボール球が多くて、見ていて飽きる。

さらに、バッターもロクに打てない。目の覚めるような良い当たりもないので、眠くなる。

こんなにスカスカなゲームが、日本一を決める試合なのか。

土曜の夜、出かけた先で何もやることがなく、ちょうど日本シリーズの最終戦をやっていたので何となく見ていたんだけど。

ま、何はともあれ、日本ハム優勝おめでとう。

マイケル・ムーアも焦ってる。「ドナルド・トランプに投票するのは合法テロだ」

「11月8日、合法的にテロができるのはこの日しかない」

情報源: マイケル・ムーア「ドナルド・トランプに投票するのは合法テロだ」

いよいよ危機感MAX!
メディアや有名人がなだれを打つように「アンチ・トランプ」を表明しはじめた。

そもそも民主党支持のニューヨークタイムスをはじめ、雑誌ヴォーグもトランプへの危機感をあらわに創刊以来はじめて政治的な主張を展開した。
そのほか、トランプを大統領候補に推したはずの共和党のブッシュ、レオナルド・ディカプリオやマドンナ、ケイティ・ペリーといった有名人も続々とアンチ・トランプ同盟に名を連ねている。

あのマイケル・ムーアも「トランプに投票するのは合法のテロだ」とまで言い出した。そこまで言うか、という感じ。

「なに、トランプもいつかは失速するよ」そんなふうにタカをくくっていたのだと思う。普通なら、あんな暴言と無分別、独りよがりの主張なんてありえない。大統領候補というのが冗談なくらいありえない。

クリントンとの公開ディベートでトランプは3連敗してさすがに旗色が悪くなったけれども、それでもアメリカ中間層の熱狂的な支持にさほどの影響力はなかったらしく、思ったほどの差がつかない。

普通ならとっくに失速してもいいはずのトランプの勢いが余り衰えない。その異様な空気に、さしもの“常識人”たちも慌てだした、というのがこのアンチ・トランプキャンペーンになったのだろう。

そう、普通の意識をもっている市民だったら、トランプが言っていることなんてテレビショーで視聴率を稼ぐためのネタぐらいにしか思えないはずだ。

でも、現実のアメリカ社会はそうはならなかった。
トランプの“ジョーク”を真に受け、そして彼を共和党の大統領候補にまで押し上げてしまった。

経済成長がもたらした貧富の格差、グローバル化による失業の増大や収入の低下といった現代社会の問題が、この空気を生み出したのだと思う。

今回は“良識派”の主張が大勢を占めそうだが、経済や社会の構造に変化や明るさが出てこないと、次はどうなるか分からないんじゃないか。そんな危機感も感じてしまった。

マイケル・ムーアの傑作。世界っていろいろなんだなぁ、と思う。

電通×ブラック=アクセスいっぱい! イケダハヤト氏の“錬金術”を見習え!!

ひどい話です。ザ・ブラック企業。BLOGOS編集長のたのっちさんの記事をどうぞ。完全に同意です。マスコミ・広告業界は働きすぎ。そしてそれを新人に押し付けすぎ。人は壊れるんです。|新入社員の過労死が起きた電通のスローガン「鬼十則」 : たのっちのぶろぐ http

情報源: そろそろ電通あたりの広告代理店は「ブラック企業」であることを常識にしようよ。 : まだ東京で消耗してるの?

電通、ブラック企業、新社員の過労死・・・
ネットユーザーが飛びつきそうな“旬のネタ”を取り揃えてみました。というエントリ。

過激なタイトルの割には中身も主張もない。過労死に瀕した人の救いになるわけでもなく。
リンク記事と知り合いネタを繋いだ中身で、価値があるのはタイトルだけ。
ま、高知にお住まいの彼に、汐留の会社の“いま”を語れといっても無理な話だろう。

とはいえ、“旬”を逃さず、わざと刺激的に書いたタイトルでタイムリーにアップするところはさすが。
目論見通りアクセスが上がっているようで、レスの数もいっぱい。

アクセスはこんなふうに作り出す、という意味では良エントリ。
まさに、イケダハヤトのアクセス錬金術、というわけだ。

参考にさせてもらいます。
※というわけで、タイトルも彼を見習って上から目線で作ってみました(笑)

「電通 鬼十則」がマンガになってるなんて知らなかった

「無料」は何も生まない。それどころか、世の中をどんどんつまらなくしている。

情報源: 【悲報】Spotify、Macでは15時間/月を超えるとシャッフルもできないようです:海外速報部ログ:オルタナティブ・ブログ

「無料がアタリマエでしょ」みたいなモノ言いだったので、違和感を持った。
いや、このページを見てのことなんですけどね。つい何日か前にサービスが始まったSpotify(スポティファイ)が、規定時間を越えると無料で聞けなくなってしまう、それをさもビックリしたかのように伝える記事。なので、このメディアのFacebookコメントに、こんなふうについ書き込んでしまった。

「タダ、っていうのはそういうことじゃないの?」

それに答えて「無料と有料の違いの説明が少し分かりにくく、無料でもシャッフルはできると報じているメディアがあったのでぬか喜びしてしまった、という話です。」と記事を書いた本人からコメント。
タダだから飛びついたけど、課金のハードル=現実に気付いて“ゲッ”と思った、ということだろう。

コンピュータのソフトウェアをはじめ、音楽、写真、映画・・・何でもタダでじゃんじゃん使える、聞ける、見れる。
無料化=フリーミアムは、インターネットがもたらした“メリット”のひとつだろう。

でも、そろそろ限界じゃないか。そう思うんだ。

良い例が、民放の地上波テレビだ。
スポンサーからの広告収入をアテに無料でテレビコンテンツを提供するという、フリーミアムの先駆けともいえるビジネスモデルで、一時はかなり潤った。

でもスポンサーからの収入が減ってきたとたん、シュリンクが始まった。
スポンサーとは縁が薄いシニア層向けの番組が打ち切られたのをはじめ、楽しいけれど手間やカネがかかるコントや時代劇がなくなった。手間ばっかりかかって視聴率が呼べないドキュメンタリーなども番組表から消えていった。
そうして、テレビから「エンターテインメント」や「カルチャー」が消えていった。

その一方で、確実に視聴率が取れてしかも経費が安い番組ばかり制作されるようになった。結果、どの民放チャンネルも、どの曜日も、ヒナ壇にギャラの安いタレントをずらっと並べた番組や、ヒマなタレントを集めた旅番組が多くなったように。その間はニュースと天気予報、さらに番宣や通販、ステマだ。
いま、テレビは何の価値も意味もない、暇つぶしのメディアへと堕落している。

フリーミアムのひとつの終着点、理想と現実の無残な食い違い。その実態がテレビ画面からあふれている。

ネットのコンテンツだって同じようなものだ。
キュレーションサイトとかオウンドメディアとか、聞こえはいいけど、広告収入をアテにあちこちから情報をパクって並べるだけのサイトが爆発的に増えた。

記事とは名ばかりのテキストの羅列は、クラウドソーシングで素人に一文字0.1円とかで綴らせたコピペの文字列。さらにSEOのためにどのサイトも同じような構成、似たような作りの見出しで飾られている。

ページは出来合いのCMSで作るのでレイアウトも似たり寄ったり。使う画像も著作権無料のサービスから借りてきたことがひと目で分かるような均質な絵ばかり。そして最後には必ず「まとめ」が設けられ、その最初には定型句のように「いかがでしたか」のフレーズ。そう書けって、きっとSEOのマニュアルに載っているに違いない。

金太郎アメのような画一的なコンテンツは、ある意味、芸人を雛壇に並べた番組と同じだ。
テレビ同様、スポンサーからの広告収入だけを目的に作られた、無価値、無意味化した“メディア”の残骸だ。

無料は何も生まない、残さない。それどころか、世の中をどんどんつまらなくしてしている。

書籍はさすがに無料サービスはないが、アマゾンの定額読み放題サービス「キンドル アンリミテッド」の制度設計が独善的すぎて出版社や作家と不毛な軋轢を起こしている。
『アマゾン、「読みたい放題」でやりたい放題? 「全削除」され講談社は抗議』
『アマゾン「キンドル アンリミテッド」サービスにおける講談社作品の配信停止につきまして』
作家の佐藤秀峰さんもアマゾンに対して賠償を求めていることを公表した

音楽もSpotifyのような無料サービスがこのまま一般化していったら、無料システムに載りやすいイメージや長さの楽曲ばかり大量生産されるようになるんじゃないか。テレビ局が雛壇番組ばかりになったように。

もういちど書くが、無料は何も生まない。
アマゾンやSpotifyのようなプラットフォーム提供サイドに、一時的な利潤をもたらすだけだ。

ユーザーは無料化により、一瞬、“豊か”になった気分が味わえる。だがそれは錯覚だ。
無料は麻薬。豊かになった錯覚や幻惑を与える麻薬だ。しかも冒頭の記者のような中毒を引き起こさせる。そして覚せい剤が人間を廃人にしてしまうように、いずれは僕らの感性を麻痺させ、生活を無味乾燥に、ズタズタにしてしまう。

何度も書く。無料は何も生まない。
かえって世の中をつまらなくするだけだ。

価値があるモノにはお金を払う。
僕らがいままでしてきたことを思いだした方がいいんじゃないか。
スポンサーに頼らない「有料放送」のNHKが、スポンサーに縛られずに楽しくためになる番組をのびのびと作り、放送してくれているじゃないか。

お金を払おう。
きちんとしたコンテンツや楽曲を提供してくれる制作者には、きちんと対価を支払うべきだ。
それが、僕らの身の回りに本当のエンターテインメントやカルチャーをもういちど取り戻すための、第一歩だ。

と言いながらアフィリエイトは貼るわけですよ(笑)
このフリーミアムの本、僕も読みました。

93円vs135円、サランラップがクレラップに負けた?

サランラップとクレラップといえば、食品用包装フィルムの2大ブランド。でも、どちらかというとサランラップの方がイメージ的には上かな。言ってみればメルセデスベンツ的な存在(笑)。

それに比べると、クレラップはすこし劣勢な感じ? ちゃんとしたメーカーなんだけど、ブランドのイメージはサランラップには及ばないかなぁ。何となくそんなボンヤリとしたイメージを持っていたのだけれど。

それが逆転しているような光景を、今日、いつも行っているスーパーの陳列棚で目撃したんだ。

サランラップが、93円の値段で安売りされていた。その隣に並んでる
クレラップの値付けは、135円。
40円以上も差をつけて、クレラップが高く売られている。

ブランドイメージが良いと思っていたサランラップが安く売られ、
あまり良くないんじゃ?と思っていたクレラップが高く売られている。

“業界のメルセデスベンツ”が、スーパー店頭で安売りされていたわけですよ。こんなことは僕のいままでの感覚ではありえなかったわけで。
ホント?値札置く場所、間違ってない??と二度見してしまった。

ただ、こんなことも言えると思う。

お金を余計に出してまで価値があるのは、いまはクレラップ。
商品の価値で言うと、サランラップよりクレラップの方が上になった。

サランラップはその逆で、相対的に価値が感じられないから、
その分値段を落とさないと消費者が買ってくれなくなっている、ともいえそう。

消費者が認める価値が高いほど、高い値段で売れるからね。
ルイヴィトンからフェラーリ、ロレックスまでみんなそう。その潮流にクレラップも加わったのか?(異論ある人もいるかもしれないけど:笑)

実際、ここ数年、クレラップは努力してきた。
いくつものユーザーメリットを商品に加えて、それをしっかり広告でアピールしてきた。

パッケージだけでも9個もメリットがある。ウェブページでもてんこ盛り
パッケージだけでも9個もメリットがある。ウェブページでもてんこ盛り

食品用包装フィルムだなんて地味な商品に、これだけの付加価値を付けるなんて、とても大変な作業だったろうと思う。

そして、その付加価値のすべてが使いやすさ=生活者目線で徹底されている。
ラップするときにフィルムがくっついたり、切れにくかったり、それでイライラを感じなくてもサッとラップできる。

ただそれだけなのだけど、使う側にとってはうれしい。価値があることだ。
数十円の差だったら、こっちを買おうかな、と思ってしまっても不思議じゃない。

そんな最近の企業努力と、それによるユーザー心理の変化が、店頭での値付けを動かしたのかもしれない。

あるいは、企業努力=商品力向上を背景にクレラップ陣営が強気の値付けをしている(スーパーの値段交渉に応じない)かもしれないけれど。
それはそれで、企業努力を価格に反映させるという、スジが通っている商品戦略なので僕は共感できる。

その一方で、クレラップの商品力を高める攻勢にサランラップは価格で対抗してきた、という見方もできる。商品力で対抗できないなら、値段で勝負! という戦法。

しかし、陳列棚で商品が少なかった=売れていたように見えたのはサランラップの方。クレラップはまだ山積み状態だった。やっぱり主婦は値段が命なんしょうね。

この勝負の行方はいかに!?

価格と商品価値、企業努力、それによる市場の評価。
いつも行くスーパーで、今日はいろんな発見がありましたね。

(おまけ)
ちなみに最近のクレラップCM

ずっと続いているおかっぱ姉妹に、前髪パッツンの三戸なつめも加わったりして、ちょっと予算が増えている感じ。販売が好調な様子をうかがわせる。

それに対して、サランラップCM

クレラップのおかっぱ姉妹に対抗したのか、クマのキャラクターが登場している。ただ、トップ企業にありがちな“お行儀の良い感じ”で、パンチに欠ける印象。

若者の○○離れ」批判は根本からズレている (東洋経済オンラインより)

若者本人は、別に何かから離れていっているつもりは全くありません。むしろ、世の中や大人の側が自ら離れていっているように、若者には見えているわけです。それは、言ってみれば「大人の若者離れ」ともいえる現象です。…

情報源: 「若者の○○離れ」批判は根本からズレている | ファッション・トレンド | 東洋経済オンライン

いや、ホントその通りだと思う。
前にもこんなエントリを書いたし。
「若者はクルマから離れたんじゃない、ほかに好きなことができただけだ。」

冒頭の記事本文で

「世の中全体的に、オジさん中心でまわっている感じ」

ってあるけど、提供者側の都合ばかりが優先されて、ユーザー目線になってないと思う。

「クルマ離れ」「ビール離れ」「テレビ離れ」全部そう。

ちょっと前だったら、みんな凄く興味があって手に取ったり勝ってくれたり使ってくれたりしてものが、時代が変わって技術が進んだり生活が変わったりして、価値が薄れてきたり、それより大事なものが出てきたりしているのに、そんなことはまったく気にしないで、「お前ら勝手に離れて行っちゃって」って客に向かって言ってる。

過去の“栄光”にアグラをかいて自分はまったく変わらない。提供側のそんな姿勢に、僕はイラッときてた。

そんな、バブルの価値観や思考が染みついたようなオジサンがちょっと前までは結構いて、そういう人たちが便秘のカチグソみたいにイノベーションのジャマをしていたけれど、それもどんどん定年退職して「○○離れ」の世代が主力になってきつつある。時代は徐々に変わっている。

だから、「○○離れ」を前提にしたマーケティングがこれからのスタンダードになってくると思う。
そして、ホントのイノベーションはそこから始まるんだと思う。

引用記事にも貼ってあってけど、こっちにも貼っておくテスト(笑)

広告のコピーと、ウェブのコピーの違いは、これ。

「コピー塾」「コピーの教科書」なんてウェブでよく見かけるけど、それってほとんどの場合、ECとかランディングページで必要になるウェブ用のテキストのお作法とか書き方を記したもの。イケダハヤトさんとかも、こんな風に講釈されてますね。
そんな最近の「ネットのコピー論」を見ていると、これまでの広告のコピーとはちょっと違うと思ったので、まとめてみたのがコレだ!(あえてウェブ風に言い切ってみました(笑))

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ターゲットは、広告の方が広くて多彩。いわゆるマスコミュニケーションになるわけですね。

基本的なミッションは、そういう幅広い人に、とりあえず商品やサービスを知って、分かってもらうこと。それに対してウェブのターゲットは検索などであらかじめフィルタリグされているから、単刀直入に「買って」「サービス利用して」と次のアクションを起すことがミッションになる。

そんな相手に使うコトバは、やっぱり標準的で分かりやすいモノでないと。対してウェブは、SEOを気にしてキーワード設定を細かく決めたりする。場合によっては、とにかくキーワードを使って、文脈は二の次、なんていう人もいたり。

なので、広告のライターがコピーを起す際、目線は読者と同じかそれよりも下の立場から、ということも。オーディオ等“黒モノ”などの場合、ちょっと偉そうに振る舞ったりするけど。

ウェブの場合、商品レコメンドとかハウツーの記事が多いせいか、経験者が未経験者に情報を伝授する、つまり「ライター(提供者) > 読者」の関係性が多い気がする。よってその口調も、上から目線で命令口調だったり。また、ファッションなどではキャラ立ちしたライター(タレント)がオススメするなど、商品よりもライターの方が存在感がある場合も。やり過ぎると、ステマになってしまうわけですが。

で、その伝える方法は、広告の場合、読者にすんなり無理なく届くように語りくちや文脈をよく考えるわけです。そこがコピーライターの腕の見せ所でもあるわけなんだけど。ウェブの場合は、まずクリックされるためにタイトルや最初の数行に凝ったりしますね。それに、キャラ立ちしたライターが断定的にもの言いしたりもするし。なので、ウェブのコピーはどうしても喧しくなる気がする。

ということでまとめにかかると、
広告は認知・共感からはじめるので、ウェブの喧しい口調から比べると、どことなくおとなしい感じは否めないかな。

例えるなら、広告コピーはサッカーや野球のヒーローインタビューの発言。言っている人自身が、社会で認知されている人なので、ファンからは注目される。けど、認知されているが故に、周囲に気を使い、あまり思い切ったことも言えなく、言葉を選びがち。その結果、「がんばります」「応援してください」なんてよくある言葉使いになってしまいがち。

一方で、ウェブのコピーは神様のお告げ。マーケティングで言う、アーリーアダプター(先駆者的な人)とマジョリティ(一般大衆)という関係の中、そこで家電とかコスメとかITガジェットとかFXとか、いろんな分野で教祖的な人がいて、情報を発信し、読者という信者を集める。読者もふんふんと素直に聞いている。そんなイメージ。そう考えると上から目線も断定的な口調も、何となく理解できる。

実はそういうウェブのコピーの作法で支持をガンガンと広げているのが、アメリカ大統領選挙のトランプ候補だと思うんだけど。
表の「広告のコピー」をマケインとかクリントンとか従来型の候補者に、「ウェブのコピー」をトランプ氏に替えてみると、なんか見えてきません? その話は長くなるので、次の機会にでも。

思うツボにはまった! ガリガリ君の値上げゴメンナサイCM

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ガリガリ君って、実は自分の生まれたエリアが発祥の会社で、昔は近所に工場なんかもあって、子供のころから親しんでたアイス屋さん。かき氷をカップに詰めた「赤城しぐれ」で育った(笑)。あれはおいしいよ。
田舎のアイス屋さんがガリガリ君をはじめヒット商品を得て全国区になった。赤城乳業って、そういう会社。

そのガリガリ君、ウィキペディアによれば1981年の発売、2013年は4億8,000万本を作ったっていうから、日本国内だけならひとり4本くらいは食べてる計算になる。僕は2本くらいだったと思うので、食べてる人はものすごい本数食べてる??。

そんな人気アイスが値上げされました。25年ぶりに10円。僕ら大人だと、“たった10円”って思いがちだけど、おこづかい握りしめて近所の駄菓子屋さんとかで買ってる(僕がそうだった)小学生には、きっと大問題だろうな。これまで買えてたお気に入りのガリガリ君が、10円の違いで今日から買えなくなるなんて!!

客のそういう切実さを、この会社はきっと分かってるんだと思う。
10円の値上げにわざわざ「ゴメンナサイCM」を作って、しかもゴールデンタイムに流していた。

CMは工場の正面玄関とおぼしき場所で、社長をはじめ主立った社員がずらり登場する「イナバの物置き」方式のローコスト制作。そんな慎ましいシーンづくりからも、「ゴメンナサイ」の気持ちがひしひしと伝わってくる。
BGMは高田渡の曲らしいんだけど、高田さんは僕より上の世代の人なので、いまいちピンとこない。けどその曲は、25年間踏ん張ったけど値上げに踏み切らざるを得ない工場の人たちの気持ちを見事に代弁していて、思わずこう思ってしまった。

「うんうん、いいよ。分かったよ。みんな苦しいもんね。10円くらい仕方ないよ」ま、CMの思うツボですね(笑)。
「次、またきっと買うから、よろしくね」とも。思うツボ、ドハマリです(爆)。

子どもたちにおこづかいを渡すお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんも、きっとそんな気持ちになったはず。だから10円値上げ後も、子どもたちはガリガリ君にかじりつけるわけです。メデタシ、メデタシ。

これから気温も上がって本格的な需要シーズンになることも考えると、まさにドンピシャの展開だったと言えます。っていうか、まさにそこを狙っていたとも思うけど。

たった10円の値上げに、いったいどれくらいお金と手間を突っ込んだのか。
低予算とはいえCM制作だけでも数百万円かかったでしょうし、在京民放でスポットCM流したり、関係各所への連絡や対応等も考えると、全体で億単位の費用がかかっているでしょう。

「損して元とれ」というけれど、今回の商品値上げにともなう広告キャンペーンは、まさにその好例だったんじゃないでしょうか。
値上げって消費者にとってはイヤなニュースだけど、今回のガリガリ君の一件では少なくとも僕の気持ちは商品やこの会社から離れなかったし、さらに「買おう」とさえ思わせてしまったのだから。

ホント、思うツボですわ(笑)。