広告のコピーと、ウェブのコピーの違いは、これ。

「コピー塾」「コピーの教科書」なんてウェブでよく見かけるけど、それってほとんどの場合、ECとかランディングページで必要になるウェブ用のテキストのお作法とか書き方を記したもの。イケダハヤトさんとかも、こんな風に講釈されてますね。
そんな最近の「ネットのコピー論」を見ていると、これまでの広告のコピーとはちょっと違うと思ったので、まとめてみたのがコレだ!(あえてウェブ風に言い切ってみました(笑))

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ターゲットは、広告の方が広くて多彩。いわゆるマスコミュニケーションになるわけですね。

基本的なミッションは、そういう幅広い人に、とりあえず商品やサービスを知って、分かってもらうこと。それに対してウェブのターゲットは検索などであらかじめフィルタリグされているから、単刀直入に「買って」「サービス利用して」と次のアクションを起すことがミッションになる。

そんな相手に使うコトバは、やっぱり標準的で分かりやすいモノでないと。対してウェブは、SEOを気にしてキーワード設定を細かく決めたりする。場合によっては、とにかくキーワードを使って、文脈は二の次、なんていう人もいたり。

なので、広告のライターがコピーを起す際、目線は読者と同じかそれよりも下の立場から、ということも。オーディオ等“黒モノ”などの場合、ちょっと偉そうに振る舞ったりするけど。

ウェブの場合、商品レコメンドとかハウツーの記事が多いせいか、経験者が未経験者に情報を伝授する、つまり「ライター(提供者) > 読者」の関係性が多い気がする。よってその口調も、上から目線で命令口調だったり。また、ファッションなどではキャラ立ちしたライター(タレント)がオススメするなど、商品よりもライターの方が存在感がある場合も。やり過ぎると、ステマになってしまうわけですが。

で、その伝える方法は、広告の場合、読者にすんなり無理なく届くように語りくちや文脈をよく考えるわけです。そこがコピーライターの腕の見せ所でもあるわけなんだけど。ウェブの場合は、まずクリックされるためにタイトルや最初の数行に凝ったりしますね。それに、キャラ立ちしたライターが断定的にもの言いしたりもするし。なので、ウェブのコピーはどうしても喧しくなる気がする。

ということでまとめにかかると、
広告は認知・共感からはじめるので、ウェブの喧しい口調から比べると、どことなくおとなしい感じは否めないかな。

例えるなら、広告コピーはサッカーや野球のヒーローインタビューの発言。言っている人自身が、社会で認知されている人なので、ファンからは注目される。けど、認知されているが故に、周囲に気を使い、あまり思い切ったことも言えなく、言葉を選びがち。その結果、「がんばります」「応援してください」なんてよくある言葉使いになってしまいがち。

一方で、ウェブのコピーは神様のお告げ。マーケティングで言う、アーリーアダプター(先駆者的な人)とマジョリティ(一般大衆)という関係の中、そこで家電とかコスメとかITガジェットとかFXとか、いろんな分野で教祖的な人がいて、情報を発信し、読者という信者を集める。読者もふんふんと素直に聞いている。そんなイメージ。そう考えると上から目線も断定的な口調も、何となく理解できる。

実はそういうウェブのコピーの作法で支持をガンガンと広げているのが、アメリカ大統領選挙のトランプ候補だと思うんだけど。
表の「広告のコピー」をマケインとかクリントンとか従来型の候補者に、「ウェブのコピー」をトランプ氏に替えてみると、なんか見えてきません? その話は長くなるので、次の機会にでも。

たかがコピー、されどコピー。

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日本もけっこうイイ映画作ってるじゃん。でしょ?

って言いたかったんだと思うんですけどね。
僕はコピーライターなので、できるだけ好意的に解釈しますが。
先日閉幕した、東京国際映画祭のコピーが物議を醸した、とWebニュースに取り上げられていました。
件のコピーはこちら
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ニッポンは、
世界中から尊敬されている
映画監督の出身国だった。
お忘れなく。

Lest we forget; our nation
gave birth to some of the world’s
most respected directors.

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これを見ると、本来なら「映画」あるいは「映画祭」が主役になるはずなのに、それが「日本」にすり替わっちゃってますよね。
さらに、最後のワンフレーズが上から目線なので、違和感に拍車をかけることに。
ただ、コピーが主張する内容を印象づけるために、こうしたワンフレーズをわざわざ加えることは、別に悪いことじゃないと思うんです。ただ今回は、最初の3行で醸成されたネガティブな印象が、ラストフレーズでさらに増幅されてしまったことは否めませんが。
「商品」を売るのが、コピーというか広告の目的。今回は東京国際映画祭の開催の告知やその来場を促進するような広告が目的のはず。なのに、それが日本という国や、この国の映画に関する業績が主題になってしまっている。そこが、物議の発火点ですね。
ただ、広告には発注元としてクライアントがいて、制作物にはその意向が反映されます。
この映画祭の主催は、財団法人日本映像国際振興協会。共催として経済産業省、東京都が名を連ねています。
ここからは僕の妄想ですが。
『みんな!映画見ようぜ』『東京で世界を見る』みたいなコピーだったんじゃないかと、当初は。だけど、
「映画っていうとハリウッドとか韓国とか、最近はインドもすごいよね」
「そういえば、映画って追加以外の作品に目が行っちゃうよね。J-POPみたいに、日本作品のプレゼンスを高められませんか」
「日本だって、有名な作品や監督、いっぱい出ますよね。アニメみたいに映画もニッポンブランドを売り込めませんか」
「そうそう、わが国は“クールジャパン”を推進してわけだし、映画国ニッポン、みたいな打ち出し方できませんか」
なんてやり取りがあって、そうこうするうちに、あのコピーに辿り着いたのではないか、と・・・
※画像はhttp://www.j-cast.com/2014/10/28219480.html?p=allより