街の記憶

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駅に行く途中にあった金物屋さんが、ラーメン屋になりました。

ある日、まだ暑かった頃。そこを通りかかると、以前その店で買い物をした時に相手をしてくれたおじさんが、ネクタイの人、2〜3人となにやら話をしていました。その後すぐ「お知らせ」の紙が貼られるとともに、店の中ががらんどうとなり、何日かして職人さんが足場を作ってシートをかぶせ、トンテンカンが始まりました。
金物屋さんは昔からやっているようでした。おじさんもけっこう歳がいってましたし。この地域に引越してきたとき、釘とかハンマーを買ったように記憶しています。そのあと、草刈り鎌とかノコギリとか。
おじさん一人で切り盛りしていたせいか、商品の陳列や管理はけっこういい加減(失礼)で、商品のありかを聞いても「あそこにあったはずだけどなぁ」「おかしいな違うなぁ」という、何とも心許ない様子。でも、草刈り鎌を一緒に選んでくれたり、そのあと危なくない草の刈り方を教えてくれたり、アメ持っていきななんてお駄賃(?)をくれたり、といったこともありました。
ゆるくて頼りないけど、なんだかちょっとホッとするような。
こんなお店、昔はいっぱいあったんですけどね。
ホームセンターができたとか、高齢化して跡取りがいないとか、いろいろ理由はあるかもしれないけど。
社会全体が利益とか効率化とかでキリキリして、こういうお店がまったりと経営を続けるだけの余裕がなくなってきた、それが一番の理由なんじゃないかと思っています。
新しくできたラーメン屋は、ロゴの作りとか人目を引く看板とかPOPとかも、今どき。
きっと店に入ると、威勢の良い声で迎え入れられたり、麺のかたさやスープの濃さなどの好みを聞かれたり、変えるときにチケットを配ったり、今どきのサービスが受けられるんでしょう。
それで、1か月も経てば、ここに金物屋さんがあったことなんて忘れていくんだと思います。
お店が変わって、その商品やサービスもアップデートされていく。気持ちや記憶も更新されていく。
Googleマップの画像が、気がつくと新しく撮影したものに変わっていくように。
まあ、どこにでもあるような、街の光景といえばそうなのですが。

個人的に、の件

「個人的に〜」って振って、話したり文章書いたりするのは、なんだか抵抗があります。個人的に(笑)。

だって、どんな話や文章も、個人的な話でしょ。
友だちとの話も、家族の会話も、井戸端会議での話も、飲み屋でのバカ話も、会議で主張する意見も。
年賀状の挨拶から、メールの内容、Twitterのつぶやきも、LINEの会話も、Facebookの投稿も。そして、このブログのエントリも。

私もあなたも、社長さんもヒラ社員も、フツーに話したり書いたりする内容は、ぜんぶ「個人的」な話だ。

それを、もったいぶってるんだか、それとも「これから大事な話をするんだぞ」的なシグナルなのか、単なる口ぐせなのか、「個人的に、それはダメだと思うんです」なーんて。あなたがダメだと思ってることは、たいがい、他の人もダメだと思ってるって。あなただけじゃないぞ。

しかも。
「赤信号を守らないのは、個人的に、それはダメだと思うんです」とか。「個人的に」を入れると、なんだかたいそうなことをいってるような感じになるけど、言う方も聞く方も。だけど、ちょっと考えるとけっこう大したことなくて。そのときの、がっかり感といったら・・・

SNSとかが当たり前になって、それこそ「個人的な」意見やら文章やらを書いたりすることが多くなったせいなのか。
ゆとり教育やらの、「個人尊重」教育が行き届いたおかげなのか。

昼ご飯を食べながら見ていたテレビ、街角の意見はこんな感じ、みたいなコーナーでマイクを向けられたみなさんが「個人的」を連発されていたので、箸を動かしながらちょっとイラッときたのでした。

※トップ画像:飛行機雲と光彩。フレアではないです。最近、個人的に(笑)キレイだと思った光景です。

「老眼」は古い!?


みんな、悩んでます。身の回りの知り合いは。
ちょっと前は、わりと密かに。そろそろ、カミングアウトする人が増えましたね。
老眼。ろうがん。ROGAN。
僕の場合は、すでに15年くらい前からメガネを作る時に指摘され始めて、実際に作るのを勧められたのは、あれは確か10年前くらいだったか。
でもねえ。
「老眼が進んだので、老眼鏡を作りませんか」って言われて、素直に聞ける人って、います?
僕はイヤだったな。
何よりもその、「老眼」っていう響き。老いた眼。お前の目はトシとって古くなってしょぼしょぼだよ、と言われてる気がして、「そんなのまだ作りません」って速攻でキョヒりました。
言葉が良くないよね、「老眼」って。
なのでその眼鏡屋さんに「老眼って言う言葉が良くないから作る気になれない。いっそのこと、呼び方を変えてみたら?」って言ったんだけど、その店員、キョトンとして。話はそのまま進まなくなっちゃった。
でも、「老眼」をもっと良い響きの言葉に代えて、それで抵抗感が少なくなれば、メガネの売上げだって伸びると思うんですけどね。実際、「老眼メガネ」って言われなかったら、あのとき僕がひとつ買ってたわけだし。
これからみんな高齢化する中で、わざわざ敵を作るようなネーミングを使い続けてちゃダメでしょ。
コピーライターなので、ちょっと案を考えてみました。
[ 熟眼 ]老化じゃなくて、成熟です。
[ 星眼 ]これから人生がキラキラしてきますし。
[ おとなめ ]おとなっぽい、という気持ちも込めて。
[ おとなアイズ ]大人になった“合図”。
[ いい眼! ]いいね!って言ってほしい。
[ AD EYES ]エーディーアイズ、ADは「ADULT」
[ エージング・アイ ]成熟を英語で言ってみた。
[ アイジング ]EYEがどんどん成熟している。
いかがでしょう、メガネ業界の方々!!
※トップ画像:メガネの聖地・鯖江ではこんなのも売ってるみたいです。http://www.megane.gr.jp/museum/contents/enjoy/sweets/index.htmlより。

ひばピーをさがせ!

おっ!と、足を止めてみてしまいました。最寄の京王線の駅に貼りだしてあったポスターです。

「ひばピー」だなんて、初めて見ました。キャプションを見ると、どうやら僕が住んでる府中市のキャラクターのようです。
Webで確かめてみたら、府中の介護予防センターの「所属」だそうです(笑)。
市の鳥、ひばりにちなんだキャラクターで、調べたらひばピーのほかにも、府中市勤労者福祉振興公社には「ひばりん」というマスコットもいました(ちなみにWebのURLも「http://www.hibarin.jp」)。ただし、こちらは“2次元”で、ひばピーのようにイベントに顔を出したりはできなさそうですが・・・
先のポスターは、味スタで行なわれる「京王駅伝フェスティバル」の告知。ポスターにはFC東京のマスコットで有名(?)な東京ドロンパや、よみうりランドのランドドッグなどに混じって、ひばピーや、西東京バスのにしちゅんなども登場しています。なんだかものすごいビジュアルですね(笑)。
ふなっしーに「弟」ができたり、西国分寺のにしこくんがネットで話題になったり、ゆるキャラはいまだに大人気。一方で大阪府などでは増えすぎたゆるキャラを「リストラする」という話が出て、それはそれでニュースになったり。
確かに、ゆるキャラを“アイキャッチ”がわりに、知名度や認知度のアップを図るのはいい方法だと思います。ただ、何のプロモーションもやらないと、なんのために予算をかけて作ったのか分からない状況にもなりかねないわけで。なので、ポスターのようなイベントに積極的に参加して「顔を売る」くらいのことは不可欠だと思います。
もっと言うと、熊本県のくまモンのように、「地方の名産を売る」という機能に特化するといったように、具体的な目標設定と、それに従った運用が大切。作って終わり、じゃなくて、作ってからが勝負、なわけです。そういう意味では、Webのコミュニティサイトの運用とも重なる部分が多いように思います。
ちなみに、この「ゆるキャラ」は、発案者のみうらじゅんさんと扶桑社から商標登録されていますので、くれぐれもおかしな使用方法は考えない方がいいと思います。

ハロー! ハロウィーン

パンプキンカラーにデコレーションされたベビーカーと、今朝すれ違いました。保育園の一団で、まだよちよち歩きもできない園児を何人か乗せて移動するための柵のある大きなベビーカーが一緒にいたのですが、その柵がかぼちゃとオレンジのテープで彩られていました。

ハロウィーンですね。
今から20年以上も前、90年代の頃です。平日に横浜に遊びに行ったとき、不思議な子どもの集団を見かけたのを今でも憶えています。
魔法使いのようなとんがり帽子を被ったり、マントを着たり、そんな一団がワーッと気勢を上げて、住宅街をあっちにいったりこっちに行ったりしています。
そのときは全くわけが分からなかったのですが、「あれがハロウィーンだったんだ!」と、あとから気付きました。山手の高台、外国人も多く住む一角のことだったので、多分、その子どもも多くいたと思います。今から思うと、あれが「正統派の」ハロウィーンだったのでしょう。
あれから、あっという間に日本中に広まりました。お菓子屋さんやケーキ屋さんはもちろん、雑貨屋さんに行けばデコレーションのグッズや置物がたくさん売られていますし。僕のお客さんの動物病院でも、待合室がかぼちゃのオーナメントで飾り付けられていました。
ちなみに、大学生の子どもが軽音のサークルに入っているのですが、昨日の日曜日、「ハロウィーン・ライブ」をやっていました(笑)
近所の町内会でも、トップ画像のようにハロウィーンでちょっと盛り上がっています。この裏に公園があるので、そこでちょっとした飾り付けや町内会の集まりをやっているようです。提灯の飾り付け、それにタイトルもなんだかかわいらしくて微笑ましい感じです。
夏から秋、体育祭などがあるけれど、クリスマスにはまだちょっと気が早い感じ。でも、何かモチベーションというかフックになるイベントが欲しいな。なんて思ってたところに、ちょうどみんなが、このハロウィーンを“発見”したのだと思います。
オレンジ色のかぼちゃの飾り付けも、かわいくてアイキャッチになりますし。また、そのオレンジ色、紅葉と同系統の色で秋を感じさせます。そんな季節感を感じるところも、日本人の「ツボ」にハマったのかも、とも思ったのでした。

Help !

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この土日、立て続けに2件、ヘルプデスクに電話をかけました。

ひとつは、外資系の航空会社。チケットのとり方についてWebページでは分からないところがあったので。
何と! オペレーターは外国人。日本語のイントネーションから明らかに外国人。とはいえ日本語は堪能で、聞きたい内容をきちんと確認できたけど。ただ、日本語独特の主語のない話し方をすると、理解しにくい様子。なので、子どもに話すような、きちんとした話し方をしないと少し会話が滞るようなところも。
また、多分、相手先の拠点は海外で、IP電話か何かで通信していたのだと思う。
もう1件は、Appleに。iTunesのアカウントが使えなくなったのでどうしたのかと。
こちらのオペレーターは、さすがに日本人。特徴的だったのは、Webページ上で電話番号を入力すると、自動的に電話がかかってきて、オペレーターと会話できるように。週末だったので30分近く待たされたのだけど、向こうかかかってきた電話なので、料金を気にすることなくオペレーターが空くまでのんびり待つことができました。
Web上のヘルプや、ユーザーどうしのコミュニティなど、ユーザーサポートが充実してきているとはいえ、やっぱり最後に頼りになるのは電話サポート。いずれにしてもコストセンターなので、ユーザーの利便性を取るか効率をとるか、悩みどころです。
一方は外国人を採用して効率化を促進、もう一方は電話代負担でユーザーに優しく。どっちが良い、ということではなく、それぞれの企業の方針というか、考え方が表れていて面白いなぁと思ったのでした。
※画像は、http://www.warranty.co.jp/work/call.htmlより

恋愛広告。


いきなり改行。それが、ラインメッセージのひとつの「必殺ワザ」なんだそうで。
そうすると、送信先のスマホ画面に表示されたとき、メッセージが何にも表示されないので「なになに?」ってつい開けてしまう →既読になるので、相手が変身しないといけなくなる。・・・のだそうですわ。
好きな相手、気になってる相手から確実に返信をもらう、そういう必殺技なんだとか。ラジオの番組で話してました。
同じノリで「たいへん!」「どうしよう?」なんて、相手が気になってつい開けちゃうようなひとことで始めるのもワザのひとつ、とか。
以前、CDの時代になって小室哲哉さんが曲づくりを変えた=サビから始まるようにしたことを書いたけど、同じことがこんなところにも起きてるんだ、と。
拝啓 爽秋の候、いかがお過ごしでしょうか。なーんてモタモタ始めてたら、恋も成就しない、ということか。こんなたおやかなお手紙、おじさんは嫌いじゃないけど・・・ま、年寄りの戯れ言はさておき(笑)
相手に興味を持ってもらう、リアクションしてもらう。ソレはまさに広告の役割でもあるわけで。昨日のエントリでも書いたけど、広告の考え方というか手法があちこちに広がっている。ついに個人レベルまで来てるんだな、とラジオを聞きながらあらためて思ったのでした。
※画像はhttp://line.me/ja/より

コピーはつづく。

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企画書なのですが、大丈夫ですか?

最近、こんな案件も増えてきました。
企画書を作るのではなく、企画書のコピーを書く仕事。すでに企画はあるのだけど、分かりやすくするために言葉の言い方や、タイトルを作る作業です。はい、もちろん。全然大丈夫です。
プレゼンの企画書というと、分厚くて、ぎっしり。文字やデータの量が多ければ多い方がいろいろ考えた感じで、なんだかありがたそう。それを大きなA3サイズに出力して、人数分を恭しく・・・なんて話はもはや今は昔。
大体、みんな忙しいですから、サクッと読めて趣旨がすぐに分かったほうがいい。もったいぶった話やもっともらしいデータは、まあ、見たい人がみれば。突っ込まれたときに提示できれば、という考え方にどんどん変わっています。
企画書という「専門書」の見せ方や作る意識が、広告とかパンフレットに近づいている。そんな言い方ができると思います。企画書の広告化、というか。もっと分かりやすく、商品=企画をもっと魅力的に。なので、コピーライターが最後のコトバを仕上げても、不思議はないです。
もともと、制作会社や広告代理店がつくるクリエイティブの企画書なんて、面白いモノが多かったですからね。「なぜ、おとなはウソをつくの?」なんて、問題提起のコトバをドーンと載せたり。ターゲットとなる生活者の行動をイラストだけで見せて分からせたり。
企業のプレゼンですし、企画者は別の人なので、そこまでぶっ飛んだモノを作るのはなかなか難しいですが。
また、最近は企業から企業へのプレゼンの他に、企業内プレゼンのために企画シートを用意することもあります。大きな企業などは、事業案を通すために部課単位、事業部単位、さらに事業部長など、何度も社内プレゼンを繰り返してコンセンサスを形成していくことがあります。
新規事業なんて、そもそも、誰もやったことがないので、コトバだけじゃ今ひとつピンとこない。だから、イラストを作ったり、モーションピクチャーを起こしたりして、その狙いや効果などを「見て」分かってもらう。そんなプレゼンのファイルを作ることもあります。
「相手に伝える」「相手に分かってもらう」「納得してもらう」そんなコミュニケーションを必要とする裾野がどんどん広がっている気がします。そういう状況がある限り、僕らコピーライターの仕事も広がっていくのだと思います。
※プレゼンの神様も、実はそのリハーサルは何度も神経質なくらい行ったそうです。画像はhttp://csspro.digitalskill.jp/wp-content/uploads/2011/10/SteveJobsImage.jpgより

いつもと違うミレー。

「そういえば、ミレー展、いつまでだっけ?」
「あっ!来週の木曜日までじゃん」
「おっ!じゃ行っておかないと!!」

そんな感じで、奥さんと押っ取り刀で向かった先は、府中美術館。

自宅からムリすれば徒歩でも行ける距離。なので「時間があるときに行こう」となかなか足が向かず。気がつくと次の展示に切り替わっていた、ということもしょっちゅう。灯台もと暗し、というか、単なるモノグサというか・・・ 今回は気がついたので良かった。

ビッグネームの展覧会だけど、こぢんまりとした美術館にふさわしい小品を集めた内容でした。

肖像画家として「食べて」いくことを決意した時期の作品で、嫁の父親の絵もありました。自分の人生をこれから築いて行く証として、絵を描くあたりは、やっぱり画家なんだな、と感じ入りました。

また、依頼のあった肖像画を仕上げたのに「似てない」と難クセをつけられ受取りを拒否された作品があって。それに対する抗議として、聖書の故事になぞらえた作品もその隣に展示されていました。結局、ミレーは当初の契約金の半分を手にすることができたそうです。絵のいざこざは、絵で解決。いかにも画家らしいやり方です。

ミレーといえば「晩鐘」「種を撒く人」「農民画家」ですが、今回はもっと広く、画家として、表現者としての一面を見させてもらいました。できれば、もうちょっと広いスペースでゆったり見たいな、とも思ったんですけどね。
奥さんの記憶によれば、このミレー展、府中のあとは宮城県美術館で展示されるそうです。
そういえば、この府中をはじめとして、比較的に小規模な美術館があちこちに建てられています。そうした美術館をターゲットとした小規模な展覧会が企画され、流通しているのではないかな、と作品を観ながら思いました。
その中のひとつが、今回のミレー展なのでしょう。