恋愛広告。


いきなり改行。それが、ラインメッセージのひとつの「必殺ワザ」なんだそうで。
そうすると、送信先のスマホ画面に表示されたとき、メッセージが何にも表示されないので「なになに?」ってつい開けてしまう →既読になるので、相手が変身しないといけなくなる。・・・のだそうですわ。
好きな相手、気になってる相手から確実に返信をもらう、そういう必殺技なんだとか。ラジオの番組で話してました。
同じノリで「たいへん!」「どうしよう?」なんて、相手が気になってつい開けちゃうようなひとことで始めるのもワザのひとつ、とか。
以前、CDの時代になって小室哲哉さんが曲づくりを変えた=サビから始まるようにしたことを書いたけど、同じことがこんなところにも起きてるんだ、と。
拝啓 爽秋の候、いかがお過ごしでしょうか。なーんてモタモタ始めてたら、恋も成就しない、ということか。こんなたおやかなお手紙、おじさんは嫌いじゃないけど・・・ま、年寄りの戯れ言はさておき(笑)
相手に興味を持ってもらう、リアクションしてもらう。ソレはまさに広告の役割でもあるわけで。昨日のエントリでも書いたけど、広告の考え方というか手法があちこちに広がっている。ついに個人レベルまで来てるんだな、とラジオを聞きながらあらためて思ったのでした。
※画像はhttp://line.me/ja/より

コピーはつづく。

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企画書なのですが、大丈夫ですか?

最近、こんな案件も増えてきました。
企画書を作るのではなく、企画書のコピーを書く仕事。すでに企画はあるのだけど、分かりやすくするために言葉の言い方や、タイトルを作る作業です。はい、もちろん。全然大丈夫です。
プレゼンの企画書というと、分厚くて、ぎっしり。文字やデータの量が多ければ多い方がいろいろ考えた感じで、なんだかありがたそう。それを大きなA3サイズに出力して、人数分を恭しく・・・なんて話はもはや今は昔。
大体、みんな忙しいですから、サクッと読めて趣旨がすぐに分かったほうがいい。もったいぶった話やもっともらしいデータは、まあ、見たい人がみれば。突っ込まれたときに提示できれば、という考え方にどんどん変わっています。
企画書という「専門書」の見せ方や作る意識が、広告とかパンフレットに近づいている。そんな言い方ができると思います。企画書の広告化、というか。もっと分かりやすく、商品=企画をもっと魅力的に。なので、コピーライターが最後のコトバを仕上げても、不思議はないです。
もともと、制作会社や広告代理店がつくるクリエイティブの企画書なんて、面白いモノが多かったですからね。「なぜ、おとなはウソをつくの?」なんて、問題提起のコトバをドーンと載せたり。ターゲットとなる生活者の行動をイラストだけで見せて分からせたり。
企業のプレゼンですし、企画者は別の人なので、そこまでぶっ飛んだモノを作るのはなかなか難しいですが。
また、最近は企業から企業へのプレゼンの他に、企業内プレゼンのために企画シートを用意することもあります。大きな企業などは、事業案を通すために部課単位、事業部単位、さらに事業部長など、何度も社内プレゼンを繰り返してコンセンサスを形成していくことがあります。
新規事業なんて、そもそも、誰もやったことがないので、コトバだけじゃ今ひとつピンとこない。だから、イラストを作ったり、モーションピクチャーを起こしたりして、その狙いや効果などを「見て」分かってもらう。そんなプレゼンのファイルを作ることもあります。
「相手に伝える」「相手に分かってもらう」「納得してもらう」そんなコミュニケーションを必要とする裾野がどんどん広がっている気がします。そういう状況がある限り、僕らコピーライターの仕事も広がっていくのだと思います。
※プレゼンの神様も、実はそのリハーサルは何度も神経質なくらい行ったそうです。画像はhttp://csspro.digitalskill.jp/wp-content/uploads/2011/10/SteveJobsImage.jpgより

いつもと違うミレー。

「そういえば、ミレー展、いつまでだっけ?」
「あっ!来週の木曜日までじゃん」
「おっ!じゃ行っておかないと!!」

そんな感じで、奥さんと押っ取り刀で向かった先は、府中美術館。

自宅からムリすれば徒歩でも行ける距離。なので「時間があるときに行こう」となかなか足が向かず。気がつくと次の展示に切り替わっていた、ということもしょっちゅう。灯台もと暗し、というか、単なるモノグサというか・・・ 今回は気がついたので良かった。

ビッグネームの展覧会だけど、こぢんまりとした美術館にふさわしい小品を集めた内容でした。

肖像画家として「食べて」いくことを決意した時期の作品で、嫁の父親の絵もありました。自分の人生をこれから築いて行く証として、絵を描くあたりは、やっぱり画家なんだな、と感じ入りました。

また、依頼のあった肖像画を仕上げたのに「似てない」と難クセをつけられ受取りを拒否された作品があって。それに対する抗議として、聖書の故事になぞらえた作品もその隣に展示されていました。結局、ミレーは当初の契約金の半分を手にすることができたそうです。絵のいざこざは、絵で解決。いかにも画家らしいやり方です。

ミレーといえば「晩鐘」「種を撒く人」「農民画家」ですが、今回はもっと広く、画家として、表現者としての一面を見させてもらいました。できれば、もうちょっと広いスペースでゆったり見たいな、とも思ったんですけどね。
奥さんの記憶によれば、このミレー展、府中のあとは宮城県美術館で展示されるそうです。
そういえば、この府中をはじめとして、比較的に小規模な美術館があちこちに建てられています。そうした美術館をターゲットとした小規模な展覧会が企画され、流通しているのではないかな、と作品を観ながら思いました。
その中のひとつが、今回のミレー展なのでしょう。

新しくなっても、前のままがいい!?

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すぐに復帰、 原状回復? 

昨日、iPhone5→6に機種変、そのときはiCloudの住所録のデータ程度しか復元してなかったのですが、家に帰ってから、中身を「元に戻し」ました。

iPhone 3GSの時代から母艦として使ってるMacBook Proにバックアップを取っておいたので、それとつないでデータ復元です。

最初の10分ほどでWi-Fiセッティングなど、OS関連の基本的な設定が復元。その後、全部で40GB程度の音楽や画像などのファイルデータが書き込まれて。かかった時間は2時間程度でしょうか。思ったよりスムーズで早かった。

アプリアイコンの並びなども前の「5」のまま。壁紙もTop画像のように元通りになりました。なんのために機種変したの? って思っちゃうくらい(笑)。古いお酒を新しい樽に詰め替えてる、そんなイメージ?

Appleのこれまでの経験から、iCloudやiTunesとかのサポートとの仕組みなどもこなれてきたおかげもあるでしょう。PDCAサイクルが回ってる印象です。特にiPhoneは「固定客」、しかも新機種が出るたびに買い替える「上得意」が多そうなので、買い換えをフォローするこうした仕組みやサービスは重要ですね。

昨日も書いたけど、スマホももはやコモディティ商品なので、新規客を狙う機能やサービスも重要だけど、顧客を囲い込んだり満足度を高めるような施策もこれから大事。

どんな新しい体験をユーザーに提供するか、も大事だけど、新しい機種に変更しても、いかに以前の体験が継続できるか。しかも容易に。ということも地味だけど重要。

そういう意味では、今回、合格点だと思いました。

Android端末はどうなんでしょうねぇ? 同じブランドで機種変、なんて経験がないので分からないんですが(笑)。

全身全霊を込めて、ウソをつく

全身全霊を込めて、ウソをつく。

広告のコピーって、そんなときもある。

旅行のパンフとか、まだできてない製品とか、宝飾品みたいに高価すぎて商品が手元にないときとか。現物を見ないままに書くわけだから、厳密に言うと、ウソを書いていることになる。

だからといって、中途半端な気持ちで書いちゃうと、本当のウソになっちゃう。誰も感動しないし、見向きもされないコピーになる。

だから、全身全霊を込めて、ウソをつくわけ。この商品のいいところはどんなところにあるか、それはユーザーにどんなメリットをもたらすか。血まなこになって探して、仮説を立てるようにコピーを書く。できるだけリアルに。そこに込める

気迫が、説得力に変わる。

本心からじゃなくても、そのときだけでも、本気で口説くと成功したりするでしょ。

ウソも100回言えば本当になる、とゲッペルスも言っていたし。

でも、けっこうむずかしいんだ、これが(笑)。

※画像は正直すぎる例? インターネット広告

そろそろ飽きてきたかなぁ

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これで何度目の機種変更になるんだろう?
今日、iPhone5から6へのアップデートしてきました。

実を言うと、iPhoneはそろそろ飽きてました。これまでアプリ開発などもやっていたので、最新のiPhoneが必要だったのですが、その仕事も少なくなり、それほど必要性が高くなくなったというのが表向きの理由。
ホント言うと、最近は特にワクワクする機能や使い方の提案がなかったので、「このままでも別にいいんじゃね?」という気持ちがあって。電池もたいして劣化していなかったし。
そんなわけで、これまで使っていた「5」は、契約期間を初めて満了、2年以上使った初のiPhoneでした。電池の持ちなども良好で、このまま使ってもいいかな、と思っていました。

下取りでデータを消しちゃうとき、未練というか愛着みたいな気持ちもわいてきてたし。

iPhoneというかスマホ全体が急激にコモディティ化している、とよくいわれていますが、それを体現しているというか、実感していたわけです。クラウドを使ったデータ共有とか、自宅と事務所、出先でのデータ連係とか、DropBoxやYouTubeのおかげもあって便利になったし、何より「普通」になった。画像やムービーの共有なども、仕事先はもちろん、プライベートの場でもそんなに苦にならなくなったし。

とはいえ、これまでiPhoneをキャッチアップしてきたせいか、「まだ替えてないんですね」「Plusはどうですか」などなど、いろいろ聞かれることが多くて。ここは、僕の“ブランドイメージ”を保つためにも替えないとな(笑)と思っていました。キーボードも打ちやすくなったし。
その矢先、auの下取りセールが今月末まで、という知らせがあり、尻を叩かれた気分に。2年使ったiPhone5(64GB)を34,000円で下取ってくれるなんて、auも太っ腹。

で、その下取り価格表をよく見ると、僕の持ってる「5」の方が、より新しい「5S」より1,000円だけど買取り価格が高いだなんて、僕の足もとを見られているようです(笑)。

贅沢は、やっぱり素敵だ!

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ここは、かばん屋さんや家具屋さんのショールームではないです。クルマ、マセラティのショールームです。

一人ではなかなか怖くていけない場所(笑)。だけど、友人が試乗に行くというので、お願いして付いていきました。

マセラティといえば、ラグジャリーな内装も人気。Top画像でずらりと並んでいるのは、シートや内張で使われる皮革の色見本です。ボディの外装の色はもちろん、ホイールのデザインや種類、内装の色や素材など、何十万通りもの組み合わせからオーダーできるのだそうです。さすが!

そして、試乗。
友人が希望したのはクーペタイプのスポーツタイプ。助手席はディーラーのセールスが座り、僕はリアシートに。アクセルを開けた瞬間から轟音につつまれ、フツーのクルマではないことが分かります。僕が座ってるリアシートの下にマフラーがあるおかげで、エンジンの息づかいや鼓動がほとんどダイレクトに伝わってきます。そのエンジンは4.7リッターのV8。いまどきのエコで汲々としたシロモノではなく、古きよき時代の贅沢でスポーティなハートです。

贅沢のカタマリ。でも、家一軒買えてしまうようなフェラーリやロールスロイスほどの放蕩ではない。ほどよい「贅沢感」は、僕みたいな貧乏人でも、頑張れば何とかなるかな、という気にさせます。そのせいか、売上げは好調なのだそうで。セールスも元気です。

趣味のクルマといえば聞こえはいいけど、はっきりいって無駄遣い。だけど、無駄遣いこそ、楽しい。お酒がなかなかやめられないように、こういう趣味も、いちどハマったらやめられません。
人間って、めんどくさくて複雑で面白いなぁ、と改めて思ったのでした。

近視眼生活

サラリーマンは、気楽な稼業じゃなくなっちゃいましたね。

さっき、ノーベル物理学賞の中村教授の話題から、日本の科学研究環境の貧困さをテレビで取り上げてました。

昔は、企業は長い目で研究活動を行っていたので、その中にいる研究社や技術者も、腰を据えてじっくり研究できた。そうした基礎的な研究の成果をもとに、イノベーションにつながるような商品開発ができた。

でも最近は短期的な利潤を追求するようになったので、少なくとも3年で何かの結果を出さないといけなった。なので、中村教授のように唯我独尊で研究に取り組むような人材は、かえって邪魔になってきた。

なのだそうです。考えてみれば、技術系の分野だけでなく、営業だって同じような状況だし。

僕らフリーの世界でも、昔は「今回はこの金額でお願い! 次の仕事でリカバーするから」という付き合いがあったけど。最近は案件ごとに割り切ってやっちゃう。だって、「次」があるかどうか、あっても来るかどうか、分からない世情になってきちゃいましたからね。

なんかこう、近視眼になってきてきている感じ。社会も仕事も。社会がそうなってるから、仕事の環境もそうなっているのか。

※画像はhttp://jp.wsj.com/news/articles/SB10345363700595394421004580217231751000648?mod=trending_now_7より

ひとり or いっしょ?

ないものねだり、なんだと思うんですけどね。結局。

先日、1つの大きなプロジェクトが終わって(何と3年がかり!)、ささやかに打ち合わせをしたのだけど。
「こういうふうに、1つのことを最初から最後までやり遂げるのって、いいなぁ」と、あらためて感じちゃったのです。

コピーライターって、いくつも案件を抱えてまして。僕の場合、メーカーとか、卸、ITベンダー、医療関連とか、比較的硬いお客さんが多いんですけどね。で、Webサイトとか商品カタログとか、チラシとか、インタビューとか、とか。
で、一から十まですべて作業に係わる場合と、スタッフとして「ここだけ」っていう仕事も。どちらかというと、後者の場合が多いかな。

なので、プロジェクト終了の達成感って、実はあんまり感じたことなくて。中には、「あ、終わってたんですね」っていう仕事も。僕ひとりのパフォーマンスには限界があるし、他の仕事との関係もあってひとつの仕事をなかなか集中できない、という事情(言い訳?)もあったり。

それに、カタログとか新聞広告とか、紙の仕事の場合、入稿したり印刷してしまえば「コレで終わり」とピリオドが打てますが。ウェブ関係の仕事は、なかなかそうはいかない。ローンチしたらメンテナンスあるし、そうこうするうちに修正とかSEOとか、、、紙媒体を経験してきた者にとっては「終わった感」「やれやれ感」を思うスキがあんまり見当たらなくて。

フリーって、組織に所属しない分、気楽でいいです。でも、たまに(というか最近?)チームでやるダイナミズムとか、チームだからこそ感じる達成感とかも、結構イイよね。と思うようになっています。トシとったからかな?

15分の、10分の、8(あるいは2)

15人ほどのお客さん、そのうち10人が何かの端末を持っていて、8人がスマホ。
いや、この間乗ったバスで。いちばん後ろの席、しかも真ん中に座ったので、前の席の様子が見渡せたのでした。
始発だったので、乗客が座って一段落して、バッグやポケットをごそごそ。そうして思い思いに画面を見だしたのです。

このバスでのスマホ率は、80%。世間的には6〜7割ほど、といわれているので、さすが東京(の、世田谷区)という感じ?
ただ、僕が管理しているサイトで、おおよそのガラケー率を割り出したところ、20〜25%。ネットにアクセスする人の割合で言うと、そのあたりになるのかな、と。

Webサイトを作る、イコール、PCで見る、ということがデフォルトだった。なので、Flashとかmovieとかリッチコンテンツを作って、見る人に「おおっ!」と言わせよう、という企画が多かったけれど、それも今は昔。

PCでもスマホでも見られるレスポンシブとか、サイトによってはそもそもスマホやタブレットに特化して作ったでしょ、というデザインも。
当然、画面というかスペースに限りが出てくるので、これまで以上に情報の整理が必要になるし、言いたいことをパシッと決める必要がある、というわけですね。

※画像は、台風一過の火曜日、きれいだった夕焼けです (^_^)