ポジティブにいくぜ!

広告って、基本、ポジティブ訴求なわけです。

ウチの製品は、ココが、こんなふうに良いよ! っていうスタンスですね。

あの製品はここがダメ、そこに比べるとウチの製品は・・・っていうのはネガティブ訴求。CMなどのマス広告では、あんまりやりません。ネット広告などはよく見かけますけどね。

広告は、まず「共感」を集めるのが第一のミッション。だから、楽しかったり面白かったりする表現を考えるわけです。

「あれがダメ」「あそこはよくない」なーんて言ってばかりいる人は煙たがられるでしょ。それは広告も同じ。特に日本人はヒトから嫌われることにはすごく敏感なので、それもあって広告はネガティブ訴求はあまりやりません。企業の担当者などは、ちょっと繊細なくらいに気を使っています。

ところが、ブログページなどを見ると、文句と批判のオンパレードなわけです。「あの人が言ってることは間違い」「今どき、あんなこと言ってるようじゃダメ」「そうじゃなくて、真実はコッチ」みたいな。ま、集団的自衛権からキティちゃんは猫じゃなかった!みたいな話題まで、世の中の問題を論議していたりするので、どうしてもそんな論調になっちゃいますけどね。

それはそれで読んでいて面白かったりもしますが。じゃ、僕はどう書こう? と思ったとき、とはいえ、やっぱり明るかったり楽しかったりためになったりする話題を書こう、と思っているんですよ。これでも(笑)。

ところがところが。読み返してみると、ちょっとネガティブなエントリが多いですね。

ネタ探しを兼ねて日常的にブログ記事を読んでいるせいでしょうか。そもそも楽しい話題が身の回りにないからなのか。それとも、社会の今とか将来があまり明るいモノじゃないのか(ちょっと大げさ)・・・。

僕はやっぱりコピーライターだったり広告制作者だったりするので、やっぱりポジティブにいかないと。明るく楽しいネタを集めてきて、それを仕事とかこのブログとか、カタチにしていきたいと、あらためて思ったのでした。

※写真は僕じゃないっす(笑)

まあまあ、っ旦

Twitterはカジュアル、Facebookはフォーマル。らしいです。

この間、Twitterの人と打ち合わせしていたときの話題です。
Facebookはビジネスのつながりがあったりするので、どうしてもかしこまってしまいがち。
その点、Twitterはもっとくだけて、カジュアルに書き込める、ということらしい。
その先に、仲間内トークに徹した超カジュアルなLineがありますけどね。

ただ、ブログだったり、Twitterだったり、そしてLineの登場などで、みんなが書く文章がどんどんカジュアルになっているのは確か。
コトバだけじゃなくて、顔文字は普通になったし、ブログに絵文字とか、Lineはスタンプとか。こうして見ると、カジュアル&ビジュアルっていう感じですね。

っ旦

↑は、お茶を出して、まあまあひと息入れて、って言うときに使われてるコトバというか記号? 「旦」は見ての通り、茶托に載せたお茶、「っ」はそれを差し出す手、ですね。念のために書いておくと(笑)。
掲示板とかで論議が白熱したり、言い争いになりそうなとき、誰かがヨコから、それこそ「つー」って感じで出してくる。
初めて見たとき、とってもクリエイティブ! と思ってしまいました。
コトバのカタチが、意味を持つなんて。

昔々、モノのカタチからコトバが作られましたが。「手」とか「子」とか、象形文字ですね。
それが一巡して、コトバから新しい絵が生まれてる。文字絵画? アスキーアートなんて、まさに典型かも?? ま、パソコンがそれを可能にしたんですけどね。パソコンがなかったら、絵文字もアスキーアートも出てこなかったでしょう。

漢字、ひらがな、カタカナと、文字を綴るだけでも3種類を使い分けて、さらに絵文字ですからね。日本語って懐が広いというか、何でもアリというか。

誰かも言っていましたが、ホントは日本人ってアタマが良いし、感情表現なども繊細で豊かなのかもしれません。これだけ「コトバ」を自在に操って意思表現しているのですから。

※トップ画像はhttp://wired.jp/2014/05/11/ascii-art/6/より

百“文”は一見にしかず?

つい、足を止めて見入って、そしてカメラで撮っておきたくなります。

自宅近くの学習塾の看板?です。

デジカメ画像やフォトショップの画像処理などに見慣れた僕には、チョークの素朴な風合いと色合いが新鮮です。

やっぱり、ビジュアルのインパクトは強いなぁ、といつもここを通るたびに思います。

僕らコピーライターがいくら書き立てても、それが一目で分かるビジュアル表現があったら、そっちの方がいいに決まっています。

百聞じゃなくて、百“文”は一見にしかず?

とはいえ、精緻な機械の作用とか、人間の細かな心の動きとか、ビジュアル表現では分野もあることは事実。それ以外にも、言葉の持つ力や機能が求められているところがきっとあるはず。そういう「場」をもっともっと作ったり発見したりしていきたいと思います。

って、ちょっと負け惜しみっぽかったかな(笑)

 

日本語って、ヤバい!

「ヤバい、っていうのは、どっちなんでしょうねぇ」

あるソフトウェアの取材でのこと。編集担当と話していました。そのソフトウェアは、テキストを読み取り、よく使われる言葉などをデータ化するもの。

「ヤバい」は最近、「すごい」「上手い」「おいしい」といった意味もあるので、例えば若い人のインタビューや記事などを解析したときに、すごくネガティブな評価になっちゃうんじゃないの? などと、その担当者の人と無責任な雑談をしてました。

メーカーの方に聞いたところ、最新のソフトウェアでも的確な判断は難しいので、人間が判断できるよう別に抽出している、とのこと。その他に「判断が甘い」「お菓子が甘い」など、いろいろあるんだそうで。

なるほど! 日本語って難しい!!

そういえば先日、友だちと街を歩いていて、

「そこのイタ車があるところ、あそこに店があるんだ」

「えっ? ないですよ・・・」

「君が思ってるのって、“痛車”じゃない?」

「ええっ?? 痛車のほかに、痛車って、あるんですか?」

おいおい (^_^;)  世の中は、もうそこまで行っちゃってるのか!?

※画像は、iPhone版アプリ「スーパー大辞林 3.0/大辞林ビューア」より