売れなきゃ、ダメなのか?

image

こんな意見があり、広告の役割について考えてみたりしたりしていたら、この古い広告を思い出した。

 

image

画像はこちらより。細かい内容も。

 

広告ならではの語り口がある。

「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生み出しています。」
だなんて、いまSNSとかで出したら炎上するでしょうね、良くも悪くも。広告だからこそ成り立つフレーズといえるでしょう。

この広告によってクルマを通して環境問題を喚起するきっかけになったし、
ボルボという会社の環境に対する姿勢を、広くみんなが知るきっかけになった。

そういう企業広告、ブランディング広告の好例として、いまも思い出される名作ですね。このボルボの広告は。

広告の役割って?

もちろん、この広告でクルマはすぐには売れないかもしれない。
けれど、この広告を見てクルマを選ぶ基準に「環境」を加える人が増えたかもしれないし、それによって将来的にクルマ選びにボルボをチョイスする人が増えた、かもしれない。

そんなの、効果測定できないじゃないか、って言われるんですよ。今だと。
確かにそうなんですけど、だったら冒頭のFBタイムラインの人が主張している「従業員のモラルアップや社会貢献」も指標化できないですよね。

広告は、モノやサービスを売るためのモノでなければいけない。
けれど、将来の顧客を増やしたり、ブランドや企業そのものの価値を高めるのも、広告の役割だ。

揺り戻しがきそうな気がしてる

いま広告というと、インターネットで、ECで、ひとつの商品をどれだけ効率的に売るか、ということに注目が集まりがち。ビッグワードをいくらで買ってリスティングをかけて、SEOを上げるためにコンテンツを足して、、、とか。

でもそこには、企業と客とのコミュニケーションがない。値段とか送料とかレコメンドとか、そういう現実的なことばかり。僕らと商品の間って、それだけでいいの?と思う。ちょっと飽き飽きしてない??

インターネット化で確かに便利になったけど。なんかギスギスした方向にいきすぎてないか。信頼とか愛着とか、そういう指標化できない絆を企業と客の間で新しく結び直してもいいんじゃないか。そろそろ、そんな揺り戻しがあってもいい気がしている。

その一例として、カップヌードルの新CMがあると思った。だけどそれは、広告業界の人間の欲目かな?

「働き方革命」ってなんだ?

コピーライター歴20年の私が、クラウドワークスの決算発表に突っ込んでみた

image


「制作」と「製作」の違い、分かります? 

「制作」は、映画などの創作物を作ること。僕ら広告業界も、こちらの「セイサク」だと、入りたての頃に先輩から教わった。で、「製作」は道具を使ってモノづくりをすること。世の中、そのへんがごちゃごちゃにされているけれど。クラウドワークスもそんな感じがウェブサイトで見受けられる。広告業界でも、かなり混同されてるけどね(笑) 

image

平均月収32万円は凄い

そのクラウドワークスが少し前に決算発表をして、ブログなどで話題になった。
僕は広告系の制作者なので、基本、広告やウェブサイト制作の視点になるけど。なので、エンジニア系はあまり突っ込めない。 

平均月収32万円は凄いんじゃないかな、と資料を見て素直に思った。ただ、それは月収20万以上の人の月収という但し書きがつくけど。そういう人は全部で111人。ワーカーさんは全部で80万人というから、稼いでいるのはほんのわずか。割合とか計算するのも面倒なので誰か計算して(笑)。

ちなみに、収入20万円越えのワーカーさんに対する支払総額は38,209,530円、2割のマージンを取ったとして売上げ47,761,913円。差し引きの利益は約9,552,383円、ざっくり1千万円。この期の収益総額が2億8千500万円となっているから、20万円越えのワーカーさんが同社の収益に占める割合は3%ちょっとでしかない。 収益のこういう構造は、楽天の出店者(社)も似たようなものなんだろうと思う。

クラウドワークスの募集案件を見ても、エンジニアの開発案件は50万円とか100万円の案件があるけど、ライティングやデザインの仕事は単価が安い。数百円単位なんていうのもザラ。制作の仕事で多くの金額を稼ぐのは、かなり大変そうだ。 

プロジェクトマネジメントは?

クラウドワークスではもうひとつの“柱”を用意している。上記で説明したのは中小企業向けのプラットフォームと呼ばれるカテゴリ。地方の店舗や小さい企業の細々とした案件を、ワーカーと直接やり取りするものだ。

 それに対して、大きな企業の少し大きな案件をクラウドワークスのスタッフがマネジメントする、大企業向けのプロジェクトマネジメントも用意されている。小さな案件はウェブサービスで数を稼ぎ、大企業向けの案件をは自社で直接さばいて利益を上積みする戦略だ。 

ただこれは、前者の中小企業向けのプラットフォームしか残らない予感がしている。 

昔やったことがある、クリエイターのマッチング

実をいうと僕は、クラウドワークスと同じようなビジネスモデルを手伝ったことがあって。当時、定着し始めたネットを使って、地方のクリエイターをネットワークしてクライアント側のニーズとマッチングさせようとしたわけ。

ただ、ネット上での募集は“自称”クリエイターが多くて、スキルに不安があるし、実際に発注しても納期に間に合わないことも多々あり。修正をお願いしたら“バックレ”られてしまったり。

結局、どの案件も気心の知れたスタッフとリアルに打ち合わせをしながら進める普通の制作ビジネスに落ち着いていった、という経過がある。
今もクリエイター系のマッチングサイトがあるけど、案件ベースのマッチングは限定的。基本はウェブのコーダーや版下作業などの人材派遣がメインになってるし、実際にそのサービスを利用している制作会社も多い。 

何が「革命」なんだろう? 

クラウドワークスを使ってデザインやプログラミングでせっせと働いて、月収20万程度の収入を得る人は、これからも増えていくんだろう。子育てや介護など、何らかの事情で自宅で暮らさざるを得なくなった元デザイナーや元エンジニアという人がいると思うけど、そういった人たちが収入を得る新しい選択肢が増えたと思う。 

クライアントにとっても、例えば地方の小さいショップが開店するときに、ロゴマークなどのデザインもいっしょに店舗デザイナーに任せて、「あんまり気に入ってないんですよ」なんてオーナーさんの声をよく聞いたたけれど、そんなときの解決策としてクラウドワークスの仕組みは有効だと思う。納得のいくデザインがリーズナブルなコストで得られて、その結果、もっと納得いく開店ができて、オーナーさんもきっと満足でしょう。 

せっかくの“うまみ”が・・・

もうひとつの柱である、プロジェクトのマネジメントの方は? というと、たぶんクラウドワークスはシステム会社だと思うので、制作に関する知識や経験が必要とされるプロジェクトマネジメントが、はたしてうまく回せるのだろうか、という心配がある(僕の勝手な心配だけどw)。

だからといってその部分を外注したら、利益が薄くなって、せっかくの“うまみ”がなくなってしまうんですけどね。以前、僕が手伝った会社は基本的に制作会社だったから問題なかったけど。 

制作の分野も2極化が進む?

流通で「中抜き」が横行し、問屋抜き、EC販売が当たり前になったように、制作の世界でも同様となりそうな予感はしている。ただそれは、クライアントも制作者もビジネス規模の小さい、コストコンシャスな領域に限定される。大きなクライアントや制作物では、コストも大事だけれど、クオリティやスケジュールを重視するから、やはりコントロールしやすい相手:大きな代理店や実績のある制作会社に出す、という流れはきっと変わらない。 

ただし、「中抜き」によって中小の代理店や制作会社は苦境に立たされることが多くなるんじゃないか。それによって、大きな案件を扱う大きな代理店や制作会社と、クラウドワークスのワーカーさんのような個人ベースの制作者との2極化がきっと進むはず。 

さて、僕はどっちにいったらいいんでしょう(笑)

東日本大震災、福島原発惨禍から5年。相変わらずな(一部の)マスコミにがっかり。

福島「放射性物質」土壌汚染調査 8割の学校で驚愕の数値が!
ダメだよ、この記事。と、読んだ瞬間、思った。

ただ、大きなテーマなのでよく考えようと思い、翌日、もう一回呼んだ。
ダメだ、という思いは変わらなかった。

念のため、明日もう一回読むことにしたんだけど、思い変わらず。で、このテキストを書き始めたわけだ。

この記事のどこをダメと感じたか。

誰も救われないからだ。

確かに、記事に出てくるママたちは、自分たちが強く不安に思っていることを中央の大きなマスコミに取り上げてもらって、少しは気が晴れたかもしれない。「やっと話を聞いてもらえた。伝えてもらえた」と。

だけど、それだけのことだ。
この記事では、ママたちが不安に感じる放射線のことは、1ミリも解決しない。

それどころか、「福島にはまだ多くの放射能が残っている」と、風評被害を再燃させてしまいかねない。

地域を復旧させようと、必死になって取り組んでいる人がいる。汚染された土壌の改善や地域の人の健康管理、地元の産業復興などで、いろいろな人が熱意を持って活動している。
そんな人たちにも、この記事の伝え方は残念でしかないはずだ。

繰り返し書くけど、この記事では福島の放射線問題は1ミリも変わらない。5年も経ったのに、編集者は何を見て感じてきたというのだろう。
僕が一番ダメだと思ったのは、この記事のタイトル。

『福島「放射性物質」土壌汚染調査 8割の学校で驚愕の数値が!』
スキャンダリズム丸出し。クリックを狙うブログによくある見出し。

ただ、記事をよく読むと、後半では福島の構造的な問題点が指摘されている。日本の社会的な問題ともいえる。僕も共感する部分があるし、いまの時点でこの記事を出すならこちらの部分がメインになるべきではないか。現場の状況がなぜ見過ごされてしまうのか、なぜ、地元の人が納得いく改善が進まないのか、問題提起になるはずなのに。

どうしてこの後半部分が主題にならずに、スキャンダラスな見出し付けと、それを受けるけばけばしい記事構成になってしまうのか。

あの大震災と、福島の惨禍から5年。テレビや新聞、雑誌、ウェブで、復興に頑張る地元の人たちの様子が伝えられている。
悲しいこと、無念なことが起きたけれど、それを乗り越えようとして頑張っている人たちがいる。
地元の人は、前進しようとしている。変わろうとしているのだ。

なのに、この記事を作った人たちは、何ひとつ変わっていないように見える。
原発問題が起きた当初、スキャンダラスな特ダネ報道の競争が繰り返されたけど、あのときの気分がいまだに抜け切れていないんじゃないか。

5年も経ったんだから、報道の姿勢や内容も変わっていくべきじゃないのか。

週刊誌に、いつもいつも高邁な記事を期待してるわけじゃない。
だけど、みんながとても悲しく辛い思いをした、あの事件に関することくらいは、前進しようとする被災地の人を後押しするような、僕たちに問題点を提起するような、そんな記事を作るべきじゃないか。

それともうひとつ。

期せずして「保育園落ちた、日本死ね」のブログが話題を集め、国会ですったもんだのあげく、保育士に特別手当ての予算が組まれるような動きも出ている。

マスコミの役割って、こういうことじゃなかったか。
いまの社会の問題や矛盾を浮かび上がらせ、世の中を動かす。

特に週刊誌は、こんな身近な問題に関する世論喚起が得意なメディアだったはずなのだが。