残念な思い出

朝日新聞から、以前、取材を受けたことがあります。

自分が抱えている住宅ローンの制度で不満があり、そのはけ口が見当たらなかったので、朝日新聞のWebページに書き込みました。いまは窓口は見つけられないのですが、当時、朝日新聞では読者の意見や感想をWebページから受け付けていました。

それがたまたま投書欄の担当の目に止まったのでしょう。まず、投書欄に掲載されました。それを読んだ記者さんから電話があり、ちょうどまとめている記事の内容に合っているので取材させてもらえないか、と申し出がありました。

新宿西口、いまカメラや家電の店が乱立しているあたりで記者さんと会いました。「それほど取材費がないので」と、安い焼き鳥のお店で取材費の範囲内でちびちびと呑みながら話したのを憶えています。

記者さんは、終始まじめに僕の話に耳を傾けてくれました。主にメモを取っていたので、お酒に手を伸ばすことはあまりありませんでした。住宅ローンについて、自分はどこに問題があると思っているか。それから高じて家を持つということや自分の家族のことも話したと思います。

だいたい話し終えたころ、「住宅ローンの問題はあるけど、お話を聞いていたら僕も自分の家が欲しくなっちゃった」と笑いながら言っていたことが記憶に残っています。悪い人ではありませんでした。仕事に熱心で、取材対象の僕にマジメで。多くの人が持つような感情やモラルを持っている、共感できる人でした。

その後、編集担当の方から原稿が送られてきて、確認をしてひとつふたつ、修正のお願いをしました。電話で何度か話しましたが、その編集の方もていねいな対応で、僕の要望にひとつひとつ答えてくれました。トップ企業らしい、誠実で真摯な仕事ぶりでした。

昨日、朝日新聞から、昨今の不手際をわびる折り込みが入っていました。折り込みを見て、もう何年も前のことになりますが、取材を受けたときのことを思い出したのです。

あのときの記者さんや編集の方はあれほど真面目で熱心だったのに、と、いまさらながら残念な思いを感じたのでした。

タダほど○○なモノはない

「それでは、テレビの方々はこれからも、ためになって面白いバラエティ番組を作りつづけてください」

と、これはラジオ、ニュース放送でのDJのコメント。凄いこと言うなー、と感心して聞いてました。
錦織選手の活躍で一躍話題になった全米オープンテニスは、有料放送WOWOWの独占放送、地上波では見られないことが少し問題となりました。
そのような状況に、ある地上波局の関係者が「試合時間が定まらないため、放送の時間枠を抑えるのが難しい。しかも日本人が活躍しないと視聴率が上がらないのでばくちになる。だからスポンサー集めも難しい」と話した、というニュース原稿の後、一拍置いて、ラジオのDJが皮肉たっぷりに冒頭のコメントを言ったのでした。
スポンサーからお金が集められないから放映できない、なんて寂しい回答だな、と僕も思いました。
昔々の野球中継、日本シリーズだったか大きなゲームで、ゲームが白熱して放送時間枠が足りなくなったとき、テレビ局の人がスポンサーに電話をかけまくって時間延長を了承してもらって放送をしたことがありました。そんなことはもはやメルヘン、おとぎ話の世界なんでしょう。
同時に、スポンサーからお金を集めて無料放送を行なう、地上波テレビの限界も感じました。
いまのビジネスモデルでは、世の中の最大公約数をめざして番組を作るしかありません。でないと、まとまった「数字」が取れないからです。それに、放送時間などリスクのある番組もNGです。テニスのように。
タダより、安いものはない。確かにそうなのですが、
タダほど、どうでもいいモノはない。という状況になっているように思います。
水と空気はタダ、といわれたこの国で、水はすっかり買うことが当たり前になりました。安全、安心や健康という価値を手に入れるために、やっぱりお金を払って買わないとね、という気分が定着したのだと思います。
同じように情報やコンテンツも、それが自分にとって価値があるなら、きちんとお金を払って手に入れる。そんな時期になっている気がします。
実際、多チャンネル化でいろんな番組が見られるようになっているわけですし。 

メディアが変われば、言い方も変わる。

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CDになって、曲の作り方を変えた。

と、小室哲哉さんが以前、インタビューで話していました。ヒット曲を連発していた頃の“秘話”という感じだったでしょうか。

それまでのレコードからCDになって、好きな曲、自分が聴きたい曲をすぐに呼び出せるようになりました。

でも反面、つまらない、聞きたくない曲は、有無を言わさず聞き飛ばせるようにもなったわけです。

小室さんはそこに気付いて、「じゃ、聞き飛ばされないような曲にすればいい」という曲作りをしたそうです。いきなりサビから入る彼の楽曲は、そういう理由から生まれたそうなんです。

なるほど。レコードの時代(いまの人はほとんど知らないんだろうな:笑)は、曲を飛ばそうとすると、曲と曲の合間にあるちょっとした溝を狙って針を落とす「テクニック」が必要でした。へんなふうに針を落としたら溝というかレコード盤を傷つけるので、ちょっとドキドキしたり。また、それをダビングするのも至難の業で、右手で針を持って、左手でカセットテープの録音スタンバイして・・・今から考えると、お笑いですね。

でも、CDというかデジタルになったら、それこそ片手で寝っ転がりながらでもできるようになったわけで。当然、聴き方、楽しみ方は変わりますよね。

そんなメディアの変化に合わせて曲作りを変えた、というのが、彼の成功のポイントだったわけです。まさに、ピンチはチャンス!

これは、僕みたいにコピーを書く人間にもとても参考になった話です。メディアに合わせて言い方を変える、考えるクセがつきました。

少なくとも、メールの書き方が変わりました。小室さんじゃないけど、いきなり本論から書くようになりました。メールって、みんなできれば早く主題を知りたいですからね。

最近では、Webページのほかに、ムービーとかSNSとか、いろいろなメディアがどんどん使われるようになりました。それぞれ、閲覧のスタイルや読者の受け入れ方が違うので、それを想定しながら、言い方を変えています。

どんなふうにするか? それは直接僕に聞いてください!