おにぎりと想像力。

おにぎり2万個、握れますか。

高校野球のサイドストーリーとしてニッカンスポーツが取材したこの記事がバズって、炎上のような騒ぎになりました。

スポーツ新聞としてはありがちな“美談”です。
甲子園を目指す選手、それを支える人たち、その例として「2万個」というインパクトある数字。甲子園での野球をスポーツとしてではなくドラマ的に切り取ったニュース。「根性」や「献身」といったキーワードが浮かぶ、ずっと昔からおなじみだった日本スポーツ報道の、ひとつのスタイルだといえるでしょう。

それに対してTwitterなどネットの世界で、「男尊女卑」「家事ハラスメント」「労力の無駄」と、ネガティブな反応を示した人が多く出ました。言われてみれば確かにそうで、中には「アメリカのスポーツ活動に女子マネージャーというポジションはない」と、“世界基準”を教えてくれる人もいました。

この対立の構図が面白いな、と僕は思いました。
件の女子マネージャーを含む甲子園関係者と、Twitterなどで“おにぎり批判”するような人は、まさに対局、アッチとコッチで絶対交わらないような感じがしたからです。

「甲子園」をめぐる情熱は、先輩から後輩へ、兄から弟へ、親から子どもへ受け継がれ、学校や地域で熟成されています。これまでずっと続けてきたことや、それらをちょっとブラッシュアップしたりして、これからも甲子園出場を目指し、がんばり続けることでしょう。多分、10年前もそして10年後も、同じような情熱や熱気が、この世界に満ちているはずです。おにぎりのマネージャのように、無償でサポートしてくれる人も絶えないことでしょう。いわば、甲子園の生態系です。

その一方で、世の中はどんどん変わっていきます。セクハラ、ドメスティックバイオレンス、ブラック企業など、新しい言葉とともに新しい概念や基準が持ち込まれたり、基準が整備されたりしています。
今回、ネットの世界で意見を主張した人たちは、こうした世の中の動きや変化といった、時代の奔流に敏感な人たちのような気がします。

何年経ってもほぼ同じ生態系が守られている釧路湿原のような環境と、天候によって流れる水の量や場所がめまぐるしく変わるアマゾン川の源流域のような環境。そんな対象的な光景が、僕の頭に浮かびました。

地球上では、釧路湿原とアマゾン源流は交わることは決してありません。ですが、ことネットを介すと、それが一緒くたになってしまうことが面白いと思いました。

この地球上には、湿原のような場所も奔流のような環境も同時に存在していて、それぞれにそこに人がいる。そこにいる人たちに話しかけるには、それぞれの環境や文化を把握しておかないと。そういう“想像力”を持ってないといけないな、なんて、誰かに何かを伝えたり、モノを言ったりする仕事をする人間として感じたのでした。

あ、冒頭の話ですけど。僕のためにおにぎり握ってくれる女の子がいるんだったら、お金を払ってでもお願いしたい、と思いましたが。本題からズレてる?(笑)

※キャプチャ画面は、http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20140812-1349576.html から頂きました。

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