「知恵ある人」だからこそ。

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福島原発事故の検証番組ですね。解釈によっては原発否定にも、あるいは事故当時の生検だった民主党批判にも取れる番組なので、衆議院選挙後のこの時期になったのか、なんて勘ぐりながら見てたり。
時間が経ったことで出てきたデータや事実、実験結果などをもとに、事故当時の問題点を探っています。放射性物質の大量放出のデータや、その状況を再現したアニメーションは、ちょっとショッキングでした。
でも、「結局、使う人間の問題だよな」と。
“原発安全神話”を作り出し、対策をないがしろにした設計、運用の誤謬だよな、と。
同じような人がいまも職に就いているらしいけど、果たして、そういった根本的な姿勢は変わったのか、何だかとっても疑問。
例は違うかもしれないけど、クルマの日産が長年赤字を垂れ流し続けてもなかなか組織改革できず、結局、外部からカルロス・ゴーンさんを招聘して生まれ変わった。あれと同様に、例えばレギュレーションを決めるなら、アメリカやフランスなどの外部の識者に加わってもらうとか、運用も同様にするとか。そのくらいの“荒療治”が必要なんじゃないか、と。
僕は、原発はあってもいいと思う。確かに、この番組でも明らかになったように、未知の領域が多く、危険な技術。ハイリスク・ハイリターンなエネルギーともいえる。
だけど、危ないからといって、ここまで開発してきたことを捨ててしまうのもどうか、と。
僕らが小さい頃、まだ小学校でえんぴつを使ってた頃、えんぴつを削るボンナイフは危険だ、ということで学校や家庭でいっせいに使用禁止になった。そのおかげでナイフはおろか包丁も使えない子どもが増えて、例によって「最近の子どもは・・・」と説教垂れる大人まで出てくる始末。使わせなくしたのは、あんたたちだよっ!
今どき、危ないものはいくらでもある。
ナイフの他にも、クルマは人を殺すし、インターネットではテロも起こせる、人智を凌駕するAIも出てくるかもしれない、なんて言われてるし。
危ないから、といって、止めてしまうのか。進歩や進化を止めてしまっていいのか。
「ホモ・サピエンス=知恵ある人」を名乗るなら、科学や文明を正しく使う知恵を発見して、それを利用して、もっといい明日を作っていこうよ。
僕はそっちの方が、次の世代のためになると思う。
※画像はリンク先より

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