ベッキーは和田アキ子で、川谷絵音は小林幸子じゃないか。

ベッキーと川谷絵音の不倫騒動が広がっている。ニッカンスポーツから“まとめ”が出されていたほど。最近は、大きなメディアもこういうことをやっているんだ、と妙に感心したり。

川谷絵音が消される!?

話の経過はともかく、僕がこの件で興味を持ったのは「川谷は消されるかも」といったニュアンスの記事が出はじめたこと。なんでもベッキーは大きな所属事務所の所属で、ほかの事務所関係者からも可愛がられているらしい。なので、最悪の場合、そういった“芸能界のドン”たちから、今回の騒動の代償として川谷は追い込まれていく。最悪、芸能界から抹殺されるかもと、まことしやかに。まるで映画「ゴッドファーザー」のような話で、門外漢の僕は逆にワクワクしてしまう。

でも、その記事をウェブで見たとき、ちょっと違和感を感じた。だって、少し前とは時代も状況も違うから。
それと同時に、このコラムで取り上げられていた小林幸子と和田アキ子も思い出した。

オープンな場で人気を広げた「メガ幸子」

小林幸子は、不祥事で一度は失速したけれど、ニコ動などでネットの支持を集めて、「メガ幸子」として紅白復活を遂げた。昨年末に唄ったのがボカロの「千本桜」で、紅白本番中の画面も応援メッセージで埋め尽くされる演出もされていた。

ネットを使って、オープンな場で新たなビジネスチャンスを拡げ、それをモノにしてきた。まさに、フットワークの軽い、いまっぽいビジネス展開。そんなところに僕は好感を持っている。

一方、ネットユーザーから評判良くないのが、和田アキ子。芸能界ではドンのような存在だけど。最近、Twitterを始めたが、ぎこちない運用でかえって反感を買ったりしているらしい。

もはや、陰でコソコソやる時代ではない

和田アキ子の“マーケティング手法”は、旧来のままというか、何もしていないように見える。いいモノは黙っていても売れる、と主張する職人のような頑なささえ感じる。歌が上手ければ、それだけで売れる時代ではないのに。

それに小林幸子のような“オープン感”がない。最近、政治家や企業家が院政をひいたり、さらに最近ではステマのように、陰でコソコソやるのは毛嫌いされる。特にオープンを常とするネットユーザーは敏感だ。和田アキ子にも同じようなにおいを感じているのではないか。

そんなことをつらつらと考えつつ、ベッキーと川谷の騒動を見ていたら、ベッキーが和田アキ子に見えてきた。ルックスではなく、置かれた立場のことだ。念のため。

ベッキーも芸能界で活躍し続けてきて、関係者からの信頼も厚く、業界内では一目置かれる立場になってきた。だからこそ今回の不祥事では、会見が必要だった。この問題にケジメを付け、これからも生きていくために。それがこの業界の習わしだし。それなりの“大物”なので、ゴメンナサイって頭を下げれば、みんなもシャンシャンと手を打ってくれるだろう、と。でも、そういったコソコソ感ただよう業界風習に対して嫌悪感を持った人も多くて(僕も持った)、それもあってあんなに炎上したのではないか。

T-1000と、シュワちゃんのターミネーターの対決?

一方、川谷は小林幸子だ。フットワーク軽く、自分の才能でチャンスや活動範囲を広げることができる。テレビがダメなら、ライブがある、ネットもある。確かに芸能界の実力者は力は持っているだろうけど、そんな広い世界までその力が及ぶのだろうか。メディアや記者は、“芸能界のドンが川谷を潰す”なんて本気で書いているんだろうか。もしそうだとしたら、視野が狭くないか。

今回の騒動で「ゲスの極み乙女。」の活動も危ない、などとも書かれていたけれど、だったら川谷が所属するもうひとつのバンド、「indigo la End」で活動すればいいだけのこと(そこを突っ込む芸能メディアがないのはなぜ?)。

映画「ターミネーター」に出てくる液体金属のT-1000のように、川谷はいろいろなスタイルに変身する。パンチを繰り出すと、カタチを変えてするっとかわしてしまう。そんなとらえどころのない彼を、はたして旧来勢力のような“ギョーカイのドン”やその関係者が潰せるのか。T-1000とシュワルツェネッガーのマッスル・ターミネーターの対決のようで、それはそれで興味が湧く。映画ではよりリアルっぽいシュワちゃんが勝ったけれど、バーチャルなネットがこれだけ普及した2015年のいまはどうなんだろう?

はたして、川谷はこれからも活動を続けられるか、そうでないか。今回、話の発端はくだらない不倫騒動だったけれど、興味がわいてきた(笑)。