かなしい坂

黒澤明監督の傑作「羅生門」のモチーフになった東郷寺の手前に、その坂はあります。京王線多磨霊園駅を南に数分歩いたあたりです。

府中市の碑が立てられていて、そこに由来が説明されています。江戸時代、玉川上水をこのあたりに通そうとしたけれど、何かの理由で水が流れなくなり、計画変更となってしまいました。その責任を問われた役人が切腹を命じられ、辞世の句で「かなしい」と嘆いたことからこの名が付けられたそうです。まさに詰め腹。

この周辺は崖線(がいせん)といって、大昔、多摩川が削った台地です。小金井のあたりで一段、そこから南に行くと、このかなしい坂の周辺でさらに一段、雛壇のような段差のある土地になっています。太古、ここを多摩川の荒々しい奔流が大地を削り取り、そうして残された地形の上に、私たちが暮らしているわけです。

なので、崖線の周辺は微妙な傾斜の坂が多くあり、先の東郷寺も、その傾斜を上手に活かして、黒澤監督が参考にした見事な山門が造られています。

江戸時代の玉川上水も、そんな自然のアンジュレーションに、水の流れを邪魔されたのではないでしょうか。切腹の武士は、多摩川がつくった“わな”のような土地に翻弄された一人かもしれません。

切腹の武士もそんなことを考えていたとしたら、まさに「かなしい坂」です。

かなしい坂のある東郷寺は、春、しだれ桜の名所。奥に見えるのは山門の屋根です。

百“文”は一見にしかず?

つい、足を止めて見入って、そしてカメラで撮っておきたくなります。

自宅近くの学習塾の看板?です。

デジカメ画像やフォトショップの画像処理などに見慣れた僕には、チョークの素朴な風合いと色合いが新鮮です。

やっぱり、ビジュアルのインパクトは強いなぁ、といつもここを通るたびに思います。

僕らコピーライターがいくら書き立てても、それが一目で分かるビジュアル表現があったら、そっちの方がいいに決まっています。

百聞じゃなくて、百“文”は一見にしかず?

とはいえ、精緻な機械の作用とか、人間の細かな心の動きとか、ビジュアル表現では分野もあることは事実。それ以外にも、言葉の持つ力や機能が求められているところがきっとあるはず。そういう「場」をもっともっと作ったり発見したりしていきたいと思います。

って、ちょっと負け惜しみっぽかったかな(笑)

 

平日なのに、けっこう混んでました。

平日の夜だというのに、9,446人と1万人近いサポーターを集めました。

昨日行われた天皇杯、松本山雅戦です。写真で写っているエリアは指定席なのでガラガラですが、ゴール裏はほぼ満員でした。スタンドの向こう、真っ赤に燃えてる夕日がきれいでした。

平日の水曜日、Jリーグのマッチではなく、カップ戦のまだ3回戦、相手はJ2のチーム(でも2位の好成績!)と、あまり注目を集める要素はなかったのですが。

それでも、スタジアムに行くためにお茶の水から電車に乗ったとき、青赤のタオルマフラーを持った人を見かけたり。新宿駅に着いたら、僕らサポーターに加え、相手チームカラーのグリーンもちらほらと。僕の気分も盛り上がってきました。最近は、けっこう人が集まるようになってきました。

FC東京のゲームを初めて見たのは、確か2000年、このチームがJ1に上がってきた年です。当時、味スタはまだ竣工していなかったので、国立競技場まで見に行きました。都心なのに空が広々して、スタジアムの席もガラガラで子どもたちが走り回っていました(笑)。

翌年、味スタができて、こけら落としのゲームはベルディとの東京ダービー。5万人の大観衆(このときの記録はいまだに破られていないと思う)、当時の石原都知事のへろへろとした始球式、そしてロペスの劇的な決勝ゴール・・・

アマラオやジャーン、サンドロ、福田健二、ルーカス、石川直宏、土肥洋一、梶山陽平、今野泰幸、長友佑都などなど、選手の活躍。大熊監督の大声、原さんのひょうひょうとした感じ、城福さんのジャンプもカッコ良かった。

昨夜のゲームでは、ケガ明けの梶山選手がベンチ入り。先発ではないのに、ゴール裏から特別にコールをされていました。待ってました!!という感じ。

また石川選手が後半に交代出場しました。この選手を初めて見たのは、2002年くらい、確かユース代表のテストマッチ(相手はメキシコだった、ような)。ぴょんぴょん跳ねるような動きなのに、とっても速い。右サイドをカンカン上がって、ドリブルしながらでも併走する選手をどんどん追い越してしまう、とんでもない速さは、いまもくっきり憶えています。

当時は横浜Fマリノスの所属だったのですが、確か、このゲームの後に東京に移籍したはずです。

その彼もすでに33歳。FC東京の“顔”として活躍してきた彼も、キャリアの終盤を迎えようとしています。2006年か07年の夏、チームワーストの連敗を喫したとき、ホイッスル後、崩れたまま立ち上がれなかった彼の姿が忘れられません。その他にも、まだまだ思い出がいっぱい!

そんなふうにして、いろんな選手の歴史が刻まれ、チームとしての歴史になって、それが降り積もってこのエリアの文化になっていくのだと思います。

スタジアムができてから、まだまだ13年。これからも1年1年、歴史を積み重ねて、いつかはバルセロナのような年とチームになってほしいな、と。僕は死んでいると思うけど(笑)