確か小学3年生か4年生のときの道徳の授業で、「アムンゼンとスコット」をやったことがあった。いまは「アムンセン」と清音らしいけど当時は「アムンゼン」、「ゼ」が濁音だった。
ふたりは人類初の南極到達を競った。ノルウェー人で冒険家のアムンゼンが、イギリス人で軍人のスコットを抑えて初到達の偉業を成し遂げる。
アムンゼンが南極到達という目標にターゲットを絞ってプロジェクト立案し遂行した(いま風に言うと)のに対して、スコットは軍人という公的な立場から南極の環境調査などを行いながら進行したため遅れた。しかも極地の環境に不慣れだったため、最終的には遭難し命を落とすこととなった。成功と挫折。栄光と死。
その道徳の授業では、ここまでの事前情報を生徒に軽くインプットしたあとで、どちらがいいと思いますか?と担任の先生から質問があった。
「アムンゼンがいいと思う人」に手を上げた生徒が大多数。なにしろ偉業を達成したし生きて帰ってきたのだから、大多数の生徒はこちらに手を上げるだろう。
それに対して僕は、スコットに手を上げた。先生と目が合い、理由を聞かれた。
南極の地質や気候といった彼の調査は、のちの自然科学の研究などで役立ったと授業でも説明がされていた。目的は果たせなかったけど命を賭けてまで当時は無駄かも知れないことに真面目に取り組んだのは凄いじゃないか。偉いじゃないか。
思ったことを素直に、正直に言った。
その後、両者についてさらに詳細な追加情報が先生からもたらされた。
いまとなっては細部は忘れてしまったけれど、確かアムンゼンがやったことが正解で、スコットの行動は間違い、という意識付けが行われたように思う。
そして授業のラスト、先生が僕にわざわざ目を合わせて聞いてきた。きみの考えを聞かせて欲しい、と。
これまでの授業の流れ、何かを僕に望むような先生の顔、そしてスコットで挙手した僕にわざわざ目を合わせてきたこと。
僕はそれらを一瞬のうちに頭の中にリストアップし、いまここで自分が言うべき答えをはじき出した。
「僕もアムンゼンが立派だと思います!」
あのときの先生の満足そうな顔と言ったら!!
独裁者が自分が望んでいた領地を侵略できたときのような、征服者のような笑み。
逆に僕はすごく、もやもやした。その後少し大きくなって、いろんなことばを覚えたとき、あの「もやもや」は、「洗脳された」という表現が当てはまると気付いた。
そう、僕は小学生の時、道徳の授業で、先生から洗脳されたのだ。
国語とか社会とか理科とか、毎日の授業で新しい知識をいつも楽しく教えてくれて、僕はとても大好きな先生だった。それなのに道徳の授業の時だけあんな教え方をするなんてと、大きなショックを受けた。
だからこそ、もう何十年も経ったのに鮮明に覚えている。あのときの先生の顔が、いまだに忘れられない。
・・・・・
そんな昔々、昭和時代の田舎の小学校で起きた「洗脳体験」を、この書評を読んで思い出した。
僕らはこんなふうに「洗脳」され「矯正」され、社会の歯車としてきちんと回るように仕立てられてきたんだなぁ、と。
すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)作者: 堀江貴文出版社/メーカー: 光文社発売日: 2017/03/16メディア: 新書この商品を含むブログを見るKindle版もあります。すべての教育は「洗脳」である?21世紀の脱・学校論?
情報源: 【読書感想】すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (1/2)
“洗脳世代”の僕も、読んでみようと思う。