その“とき”は、ちょうどテレビを見ていた。朝起きて画面を見たら「パリが大変なことになっている!」と。チャンネルはNHK。
この大きな事件を日本のメディアは少しも報道しない。報道規制していたのか! などとその後ネットで話題になったけれど、僕が見ている限りではNHKは敏感に対応して報道しようとしていた。
僕がテレビを見始めたのが土曜の8時前後から。NHKではニュース番組の枠内で最大限の時間を使っていたし、その後の生番組では、進行を中断して数分ニュースを挿入していた。通常なら番宣を流す番組インターバルでもニュースを入れていた。
しかし、事件は現地時間の金曜の夜から深夜に進んだせいか、いっこうに現地から新しい情報が伝わってこないらしく、同じ原稿と映像をどの枠のニュースでも繰り返し流していた。
現地時間の深夜、日付が変わるあたりにコンサートホールのテロが鎮圧されたときも、現地の映像などはなく、死者は140人にも及ぶ、とさえ報道されていた。実際は129人だった(その後1人増えた)ことがその後明らかになったので、現地での取材活動でも混乱していたのだと思う。
その後、お昼前後のニュースで、現地の様子が次第に流れ初めて来た。
パリのスタット・ドゥ・フランスでのドイツ代表との親善試合、不意の爆発音で足を止めるフランス代表ディフェンダーのシーン、テロリストに占拠されたライブ会場に響く爆音など、テロの様子が生々しく伝えられるようになり、その悲惨さ、事件の大きさが、問題の深さなど、その輪郭がはっきりしてきた。
中でも目を引きつけたのが、現地の人の冷静さだ。
ついさっき、銃撃音を聞いたばかりのはずなのに、銃弾や爆弾に人が倒れるのを見たり、パリの街角の平和な風景が容赦なく破壊されていくのを目撃したばかりのはずなのに。
「テロは赦されるべきではない」
「私たちはこの暴力と断固として戦う」
「このテロと、イスラムは別に考えなければいけない」
と、マイクを向けられた現場の市民は、怯えた表情ながらも、冷静に話していた。
何という冷静さ、何という知性なんだろう!事件に巻き込まれたのに。
こういうインタビューなので、特筆すべきコメントを抜き出していたのだとは思うけど。
夕方になって、ようやく番組編成にも変化が見られるようになった。
生放送の報道ワイドショー(?)では、コメンテーター役の30代の女性タレントが二人出てきて、
「ヤダ、怖い」
「日本で起きたらどうしよう?」
などと、脳天気なコメントを連発していたので、ついチャンネルを回してしまった。こんなときに時間の無駄だよ、そんなコメント。ディレクターから「視聴者の気持ちを代弁してくれ」などと注文があったのだろうけど。
それにしても、パリ現地の人の冷静さや知性の高さに比べて、日本のタレント(マスコミ?)の幼稚さ、無邪気さがはからずもあぶり出されてしまった。
フランスは、凄い。パリは強い。
普段は「自由・友愛・平等」の個人主義だけど、自分たちの社会=価値観を脅かす敵に出会ったとき、強力な団結力を発揮する。1月のシャルリー・エブド事件のときもそうだった。
それは、革命の歴史を持つ市民たちの底力だ。
歴史的に、彼らは「革命」という手段によって自らの社会を切り拓いてきた。血を流しながらも、挫折しそうになりながらも、市民が団結して手を取り合い、自らの主張や主義を貫き通し、自分たちの社会を実現してきた。
フランス、というかパリの人の強さは、そういう“遺伝子”によるものなんだろうと思った。