急場しのぎで造ったようなコンクリートの“屋根”のような。初めて見たときは、地元の建築会社の資材置き場かと思ってました。
自宅近くの光景です。ちょうど、西武多摩川線をまたぐ甲州街道の陸橋があり、運転するクルマからでも、写真のように見わたすことができます。
この“屋根”は、「掩体壕」といって、戦時中、アメリカ軍の攻撃から戦闘機を隠しておく目隠しだったのだそうです。甲州街道を通るたび見かけていた不思議な建造物が、実は戦争のなごりだったなんて、初めて知ったときは、ちょっとびっくりでした。
この付近には、調布飛行場があります。いまは、民間のセスナがあったり、大島や新島への定期便が飛んでいたりしますが、昔は陸軍の飛行場でした。
滑走路があるのは、いまの味の素スタジアムの裏手。そこから北に2キロほど行くとスバルの自動車工場や、国際基督教大学(ICU)がありますが、そのあたりまで航空基地の領域だったそうです。
ちなみに、スバルの工場やICUの一帯は、「隼」などの戦闘機を造っていた中島飛行機(スバルの富士重工業の前身)の研究所跡でした。戦後、その敷地にマッカーサーの肝いりでICUが設立されています。ICUでは、中島飛行機時代の建物が、いまも校舎として使われているところもあるそうです。また、ICU内を走る道路はやけに広く造られていますが、これは戦闘機が通るための幅を確保したのだそうです。
その南側には、身近な清流で知られる野川が通る野川公園があります。そこをGoogleマップの航空写真モードで見ると、グリーンとフェアウェイがあるゴルフ場のように見えます。それもそのはず、戦後、アメリカ軍によって基地一帯が接収されたとき、米兵たちのゴルフ場として使われていたそうです。
場所柄でしょうか。ちょっと見わたしただけでも、戦後のなごりを次々に見つけることができます。
昨日は、終戦記念日でした。僕は戦争体験はないですが、せっかく身近にこんなにあれこれあるのですから、家族たちと戦争や平和について考えたり話したりするときの題材にしたいと思っています。
※写真はおととし、掩体壕が府中市によって整備され一般公開されたときのものです。