最近の「イノベーション」に感じる違和感

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僕が子供のころは、クルマが毎年毎年、シュッとしていった。

金型成形の技術の進化によって、全体のシェイプやデザインにどんどん磨きがかけられたり、ターボや動弁装置などの新技術によってパワーがどんどん上積みされたり。クルマに限らずテレビなどの家電品やステレオ、ラジカセ(!)などでも、技術革新とその商品化がめざましい勢いで進んだ。エボリューションとソフィスティケーテッドの時代。主に1970年代のことだ。
折からの経済成長で所得が向上したこともあって、次々と発表される新技術を買って体験する、そういう幸せな時代を過ごせた。と、今になって思う。

それに対して近年、例えば90年代以降の技術革新というとインターネットに代表されるIT化だ(ついでに低成長)。iPhoneに代表されるように、電話や音楽プレーヤーなど、すでにある技術を組み合わせて価値を作るというやり方。そう、エボリューションから「イノベーション」へ、それによる新たなビジネスモデル構築の時代へ。というか、ビジネスモデル構築こそイノベーションだという風潮さえあるように思う。

そういう風に考えると、特にIT関連の人たちが自動運転車とかに熱狂しているのが何となく理解できるようになってきた。彼らは、クルマそのものの進化ではなく、ITやネットワーク化がもたらす新しいビジネスモデルにワクワクしている。UBERみたいな。

一方で、モノやメカ自体がどんどん進化していく“幸福な時代”を過ごした、僕のようなおっさんにとっては、最近の「イノベーション」であっても、その成果物であるモノ自体に、どうしても目がいってしまってしまう。

だから、Googleが作った自動運転カーはパックマンのお化けみたいだし、テスラモータースの電気自動車はロータスやジャガーのオリジナルデザインを知っているだけに見ためのインパクトや魅力はゼロ。そのカタチに新鮮味はひとつもなく、イノベーションがデザインされていない。走ると違うんだけどね。

そう、最近のイノベーションは、カッコ良くないんだ。見て楽しくないんだ。
あの程度のモノ見せられて「コレが未来だ!」みたいなことをいわれても、まったくワクワクしないわけです。

だったら冒頭の画像の方が、よっぽどインパクトも未来感もあるわけで。ハイテク大国、フランスを象徴する、コンコルドとシトロエンDS。コンコルドの初飛行は1969年だったから、これからまさにメカ・ハイテクの黄金期を迎えようとする頃の一枚だ。