当選してバンザイする人は信用できないな、と思う理由。

バンザイするほど嬉しいって、何が?
っていつも思いながら見てるんだけど。

いや、選挙で当選発表の光景として。今日も、台東区長選のニュースで流れてた。

ちなみに、バンザイの意味を調べると、
(以下引用)
1 祝いや喜びの気持ちを込めてを唱えること。多く、威勢よく両手を上げる動作を伴う。また、その動作のこともいう。「―を三唱する」「―の姿勢」
2 めでたいこと。うれしいこと。「これが成功すれば―だ」
(引用以上)

選挙に立候補する、ということは世の中の役に立ちたい、とか、社会のココを何とかしたい、とか思ってのことじゃないのか。

で、当選したということは、そういった立候補の「思い」に対して、
有権者が「頼むぞ」という意思表示をしたということじゃないのか。

なので、僕だったらバンザイどころじゃない。
これからやること、やらなければいけないこと、有権者との約束を果たさなければいけない、とかとか、いろいろスタートするわけで、そういうことを考えると、
バンザイなんかしてる場合じゃない、と思うんだが。

バンザイしてる人たちを見てると、何か無邪気によろこんじゃって。
ダルマの、2つめの「目」を入れちゃったり。
それって、願いかがかなって、もう終了!の儀式じゃないの?
当選して終わり、なのか!?

なんだか、以前からの儀式を何の疑いもなく踏襲してる感じ。

そういえばウィキペディアにもこんなことが。
(以下引用)
慣例として、衆議院解散時に議長より詔書が読み上げられ、解散が宣言されたとき、その瞬間失職した衆議院議員たちが「万歳!」と三唱する。この慣例の経緯は明らかではないが、衆議院議員たちが選挙戦に「突撃」してゆく気概を表しているとも、国事行為として衆議院を解散する天皇に対しての敬意とも言われている。また、万歳三唱をすると次の選挙で落ちないというジンクスもあるといわれる。ただ「失職するのに何が万歳なんだ」といって万歳三唱をしない議員もいる。
(引用以上)

行政改革とか農政改革とか労働改革とか、とか、とかいろいろ言われているけど、何の考えなしに前例踏襲してる人たちに、改革、つまり
「現状の課題を抽出し」「適正化する」「変える」「新しいアイデアを出す」ということができるんだろうか。

まあ、人がどんな風に喜ぼうが、勝手だけど。でも、仮にも政治家、公人になったわけだからね。気になる。

当選して、「センセイ」って呼ばれるようになって、公費が使えたり、企業からの献金とか、まったくウハウハだぜ、バンザーイ!!なんて思ってないよね!?

※画像は「選挙 当選」でGoogle検索したときの画像の表示