「私の父はAirbnbに殺された!(クーリエ・ジャポン)」スタートアップは、いつまで甘ったれるつもりか。

手頃な宿泊施設の検索サイトとして、また不動産を活用した新たなサイドビジネスとして、日本でも話題の「Airbnb(エアビーアンドビー)」。創業から8年ほどで、ヒルトン・ホテルズ&リゾートの時価総額を超えるほどの急成長を遂げたこのサービスが、実は傷害、死亡、盗難、火災などのさまざまな事件を引き起こしていることはあまり知られていない。 Airbnbで予約した民家に滞在中、父親を事故で亡くした筆者が「シ…

情報源: 「私の父はAirbnbに殺された!」急成長サービスの“死角”を被害者の息子が暴く! | クーリエ・ジャポン

ちょっとセンセーショナルな見出し、それに事件自体が公になったのは2年前のことなので恣意的な感じがしなくもないけど、内容自体は同意。

IT系のスタートアップも、そろそろ甘ったれたことをいうのはやめて、社会の一員として襟を正した方がいいと思うんだ。
例えばこの記事の、こんなくだり。

「シェアリングエコノミーのスタートアップは、提供するプラットフォームが受け身で、かつ負う責任が少ないほど成長します。
たとえば、サービスの安全性を保証すればするほど、企業側の負担は高まります。反対に旧式の出会い系サイトのような必要最小限のプラットフォームを運営するだけなら、企業のリスクは少なくて済みます」

「負う責任が少ない」ということは、言い替えれば「無責任」だ。
冒頭の事故は、宿泊施設として貸し出したオーナーの安全に対する無責任(あるいは無自覚)、それをそのままプラットフォームに載せたAirbnbの無責任が複合連鎖して起きた悲しい事故だと思う。

無責任のまま安全を担保しないのであれば、それは安くサービス提供できるだろう。だから既存ビジネスよりも圧倒的に優位に立てたし、これまでにないビジネスモデルだから法整備なども追いついてなかった。なので“合法的”に、連勝し続けることができていた。

小さくて“みそっかす”扱いのちっちゃな子供が、大きなお兄さんと一緒に野球をやっているようなものだ。
打席に立って、バットにボールが当たりさえすれば出塁できた。みんな「良くやった」って言ってくれてた。

でもそろそろ違うんじゃないか。もう“みそっかす”じゃないんじゃないか。
空振りを3回やればアウト、バットに当ててもボールがヒットコースに飛ばなければ出塁できないとか、一人前の扱いでいいんじゃないか。そうじゃないと、お兄ちゃんバッターが可哀相だ。フェアじゃない。

Airbnbはサービスを続けるなら制度をもっと整備すべきだ。ヒルトン以上にふくらんだ時価総額を、その整備に費やすべきだ。ヒルトン並みとは言わないが、一つひとつの宿泊施設を人の目でチェックし、そのオーナーとも面談し、一定の基準で評価した後に、ユーザーに紹介すべきだ。

コストがかかる?人手がない? そんな甘ったれたことをいつまで言い続けるつもりなのか。
既存の企業ならみんな辿ってきた道だ。実績ある企業が社会の一員として果たしている義務や責任を、もうそろそろプラットフォーム提供者も同様に負うべきだ。

スタートアップのビジネスモデルはより生活に密着しようとしている。ともすれば生命の安全に関わる領域にも及んできている。実際、Airbnbでは死亡者が出ているし、交通社会をベースにするUberはもっと危険度が高い。

いつまでも“みそっかす”感覚でサービス提供されていたのでは、たまったもんじゃない。
今のままでは少しの安い料金とひきかえに、自分の命を差し出しているようなものだ。

というわけでAirbnbはまだまだ使えないシステムだ、というのが僕の判断。頑固者とか頭固いとかいわれようが。
Uberも同じだな。